2015年05月27日

2015年5月  「21世紀の資本」と資本主義 - 松井幹雄

1・T.ピケティの『21世紀の資本』
この本の主題は、資本主義社会における富と所得分配の問題であり、20世紀末から21世紀はじめにかけて顕著になってきた限られた金持ちに、さらに富が集中するという分配の不平等化が進めば市場経済は一体どうなるのか、という課題に迫っている。今後、先進国経済の低成長が予想されるなかで、格差は拡大し続け、patrimonia1 capitalism(世襲資本主義)の時代となるのだろうか。資本主義の富と所得分配、収束と拡散を繰り返すダイナミックな資本蓄積の過程における資本と労働の不安定性など、近年経済学が疎かにしてきた最も基本的な問題に対し、T.ピケティは、これまでのeconomic determinism(経済的決定論主義)と訣別した異なるアプローチで迫っている。つまり過去200年余に及ぶ主要国の徴税記録、所得申告書等をデータベース化し、富と所得の分配について比較分析し、経済、政治、社会、文化的視点から多角的かつ具体的な考察を行っている。ただ、彼も断っているように、この本は、経済の書であると同じ程度に歴史の書である。さらに過去の記録には欠陥があり不完全なために、導き出した結果についてもさらなる考察の余地を残していることに留意すべきであろう。
*経済成長と所得分配については、1950年代に提示されたノーベル賞経済学者サイモン・クズネッツの「クズネッツ仮説」が定説となっていた。工業化の初期段階では所得は不平等化するが、経済発展とともに所得分配は次第に平等化するというもので、平等化は経済発展の内在的論理であると主張している。彼の徴税記録を使った資産所得と労働所得の考察は、ピケティの手法と基本的に同じである。ただS.クズネッツはデータの範囲が20世紀前半のみのため、200年の長期期間を対象にしたピケティの結論とは全く異なる結論に到達した。つまり、S.クズネッツが対象とした期間は、2回の大戦によって物的資本が破壊され、インフレによって金融資産が減価し、さらには国有化で民間資本が減少するなど様々な理由で蓄積資本が減少した時期であった。ともあれ、クズネッツの仮説は、「Kuznets curve)」として広く浸透し、資本主義の将来について明るい展望を与えたのである。T.ピケティは、この仮説は冷戦時代の産物だったと評している。

彼は、まず資本/所得比率βに関する長期データを考察し、次いで資本収益率rと経済成長率gについて主要国の長期時系列データの比較分析をおこなっている。その結果、20世紀前半の50-60年間を除くと、資本収益率が国民所得の成長率をつねに上回っていたこと、そしてβが一貫して大きい値を示し資本蓄積が高かったことを明らかにする。そして、このrがgを上回るという「不等式」は、市場経済の「根本的な構造的矛盾」(fundamentally structural contradiction)であること、それがあくまで歴史的な事実であり論理的な帰結ではないことを述べている。彼の考察の結果は以下のようになる。

第一に、富の分配の歴史はつねに時の政治と深く係っており、経済的メカニズムのみに帰することはできない。1910年代から1950年代にかけて殆どの先進国に生じた不平等の縮小は、戦争それ自体の影響と戦争のショックに対処しようという政策の結果であった。そして1980年代以降に再び不平等が拡大したのは、主としてこの数十年間の課税および財政政策の変化に依存している。不平等の歴史は、時々の経済的、社会的そして政治的当事者たちの正義に対する観念によって、さらには彼等の政治力とその選択の結果によって形成されたのであり、いわば当事者たちの合作であった。
第二に、富と所得分配のダイナミズムは、convergence(収束)とdivergence(拡散)を交互に推し進める強力なメカニズムであり、このことが本書の中心的な結論である。しかもこの不安定で不平等な力はつねに強力であり、それを抑制する内発的なプロセス、力は存在しない。まず収束、つまり不平等の縮小と圧縮に向かうメカニズムとそれを動かす力は、経済の需給法則や、資本と労働の移動によってよりも、はるかに知識の伝播とそのための訓練・技能に対する投資によってもたらされた。そしてこの結果生じた知識の普及こそが不平等の縮小のみならず生産性上昇のカギであった。
なお知識の伝播に関しては、rising human capital hypothesis(人的資本の向上仮説)、つまり時間の経過とともに労働者の技能が向上し、所得配分に占める労働の比率が上昇するとする説がある。技術的合理性追求が自動的に、金融資本、土地保有者に対し人的資本を優位に立たせるというのだが、T.ピケティはこの仮説は幻想に過ぎない、と述べている。
次にdivergence(拡散)は、この収束に向かうメカニズムを邪魔し、それを圧倒して不平等を拡大する強力な力である。しかも技能等の教育投資が十分でかつmarket efficiency(
市場の効率性)が発揮されているなど知識普及の条件が整っていても、その勢いが衰えないという厄介なものである。まずtop earners(トップの地位にある稼得者)は自らを他者と区別し、素早くたっぷりと利益を取得てきた。そしてもっと重要なのが、経済の成長力が弱く資本収益率が高い時期に富の蓄積と集中のプロセスにはたらく拡散の力であり、こちらの方が長期的な所得分配の平等化に対して大きな脅威となったのである。
*T.ピケティは、本文の中で、1910-2010年代のアメリカと、1870-2010年代の英、仏、独3か国について、それぞれ国民所得に占める上位10%の所得者のシェア(アメリカ)、資本/所得比率の推移(3か国)を示すグラフを考察し、所得分配が「U字型カーブ」を描く、という結果を導き出している。アメリカは1940年代から70年代に上位10%のシェアは35%台に低下した後、再び1910-1930年代の45-50%台に盛り返した。またヨーロッパ3か国の資本/所得比率は、1910-1970年代に200-300%台に低下した後、1980年代から増大しはじめ戦前の水準に迫っている。T.ピケティは、最近30年の動きは、これらの国々が、戦禍とその復興の時期を経て再び低成長の体制に移行したためであるとしている。低成長経済の下では、毎年の所得から蓄積に回る所得(貯蓄)は限られており、過去に蓄積された富が相対的に重要になるからである。資本収益率が高ければ、つまりr>gという不等式が成り立つとき、分配の不平等はさらに大きくなる。(英語版、pp22-27)

彼は、『21世紀の資本』を、次のような結論で締めくくっている。21世紀の資本主義をめぐる問題に向き合う経済学者として、教訓とも読める説得的な内容である。
ただ、彼は先人たちのように経済的決定論主義の視点から、「資本主義」そのものを俎上に乗せるのではなく、もっと幅広く政治的、社会的、文化的に歴史的データに沿いつつ「市場経済」における「資本の機能」を実証的、具体的に論じている。T.ピケティの関心からすれば、「資本主義とは何か」或いは「資本主義と国家」などと大上段に論じる理由は見当たらなかったのである。
*彼は、次のように述べている。「(この)著作が進行するなかで、理論、抽象的なモデルと概念に訴えようとした時もあったができるだけそれを控えた。理論の適用は観察している諸変化をよりよく理解できる場合に限られていた。例えば、所得、資本、経済成長率、そして資本収益率などは抽象的な概念であり―数学的な確実性というより理論的な構築物である。そしてこれらの概念によって歴史的な事実を興味ある方法で分析することができるが、それは   (PP33)」

1)私有財産制に基づく市場経済は、何らの対策を講じなければ収束に向かう力をもっている。この収束は知識、技能の伝播と強い相関がある。他方で市場経済秩序は、強い拡散の力を内包しており、この二面性が民主主義社会とその依って立つ社会的正義の価値を脅威にさらしかねない。この不安定性の主たる原因は,趨勢的な資本収益率rが、所得と産出の成長率gよりも著しく高いという事実であり、歴史的データで読みとれる市場経済の根本的な矛盾である。つまり、企業家や資産保有者は不労所得者として、働くこと以外に何も持たない労働者に対し、ますます支配的な地位に立つことになる
長期記録から推定される、平均資本収益率4-5%、所得増加率1-1・5%とその変動パターンから、21世紀も、r>gの関係が継続されるものと予想される。
*青山学院大学特任教授の猪木武徳は、「rがgを上回れば格差が拡大するという論理は、いかなる成長論と分配論の結合から出てくるのか。この重要な点は『21世紀の資本』で明確に論じられていない。…膨大なデータ作成への賛辞は惜しまないが、『格差拡大メカニズムのモデル分析』に成功していると考えていない」と述べている。資本収益率と共に問題なのが資本分配率である。T.ピケティは資本分配率も上昇するとしているが、経済学では、資本蓄積の拡大の過程では「収穫逓減の法則」がはたらくためにrが下落するとしているからである。しかし、これこそが、経済的決定論主義ではないだろうか。T.ピケティは、rがgに比べて大きい時期が長期間続くといっているのであり、さらに収束と拡散が繰り返される、これが資本蓄積のダイナミズムであると述べている。猪木は、T.ピケティが、自著の表題をなぜ「21世紀の資本主義」ではなく、「21世紀の資本」としたのか、その意味を正しく理解していないのかもしれない。因みに、T.ピケティは序論の中で次のように述べている。「率直に云って経済学は、数学や純理論的で高度にイデオロギー的な思索に対する子供のような情熱を克服できず、歴史研究や他の社会科学領域との共同研究がその犠牲になっている。経済学者は自分たちだけに関心のある数学的な微々たる問題にとらわれすぎているのではないか。(英語版、p32)」(「『21世紀の資本』が問う読み手の『知』何がわかり、何がわからないかを区別せよ」、中央公論、2015年5月号)

20世紀に生じた二つの世界大戦によって、過去の蓄積が破壊され資本主義が内包する構造的矛盾、即ち、r>gは克服されたかのような幻想をつくりだした。しかし、富の不平等は1980年代からふたたび拡大しはじめその速度を速めている。世界的規模における富の不平等によって資本主義はやがて政治的な壁に突き当たる。このことは保守的な市場経済の信奉者と云えども同意せざるを得ない。そして、その対策だが、世界各国の緊密な協調の下で資産所得に対する累進的な課税であろう。この累進的資産課税によって、際限のない不平等の拡大を回避すると共に、競争を維持し新たな資本蓄積の機会に向かうためのインセンティブを提供することが可能になる。
しかも資産に対する累進課税は、代替的手段、すなわちインフレや緊縮経済に比べて公正であり効率的である、とピケティは述べている。ただそのためには国民の資産保有の状況を確認するデータの完備が不可欠である。

2)経済学は、歴史学、社会学、人類学、そして政治学と共に社会科学の一専門分野であるが、他分野に比べて経済学がより「科学的」で特別の地位を占めるとする主張する根拠は何もない。敢えて言えば古風な表現だが「Political Economy」であり、political(政治的)、normative(規範的)、さらにmoral(道徳的)な目的を併せもつ点で他の社会科学とは異なる。
例えばどんな経済政策、制度がより理想的な社会に近づくかと問う際に、経済学は自らの専門分野に閉じこもるのではなく、政治経済学として議論を広く展開し、さらに解決策の選択のためには、他分野の学者はもちろん一般市民も参加できる討論の場が設けられるべきである。
また経済学は方法論を盾にして、そのなかに閉じこもり研究の障壁をつくるなど、economic determinism(経済的決定論主義)に陥ってはならない。例えば高等数学を駆使した精密な経済理論は、参加者を制限し内容の乏しさを証明する以外の何ものでもなく、理論の前提である経済的事実についての考察を疎かにするだけである。経済学が有効であるためには、実用的な見地から適切な方法論を選び、利用可能なあらゆる方法を試し、他の専門分野とのより緊密な研究協力が必要である。
また他分野の社会科学も、経済の問題だとして経済学に任せきりにしたり、細かな数字や統計を恐れてはならない。

3)長期記録データの分析は、例えば所得と富の不平等、所得資本比率のグラフが示唆するように、特に20世紀に入り、政治の影響が経済の分野に遍く浸透しており、その逆もまた真である。政治的変化と経済的変化が不可分でありますます総合的な分析が必要であることを示している。つまり、富の集中と不平等や所得・資本比率の問題は、国家、課税そして負債等について、具体的でしかも政治、経済の両面から総合的に研究することが必要であり、経済のインフラストラクチャーとか政治的上部構造といった一般的で抽象的概念は研究に対し何ら貢献するものではない。
1917年から1989年まで続いた資本主義と共産主義の二極対立が、資本と不平等に関する調査研究を不毛にしてきたが、いまやその拘束が外れたのである。具体的な価格、賃金、所得、資産の動き、そして変化が政治的意識や姿勢にどう影響するのか、さらにその結果として生まれる政治制度、秩序、政策が最後には社会と政治の変化をもたらす。このような経済、政治、社会、文化の多領域から賃金と富の問題に接近することは可能であり、かつ不可欠である。
*1870年代にイギリスでも歴史的な経済学が興隆し古典派経済学と対立した時期があった。イギリス歴史学派を代表する一人、クリフ・レスリーは、「経済学の哲学的方法について」と題する論文の中で、演繹的な古典派経済学が、富それ自体の異質性や人間の動機の多様性を考慮せず、社会の状態や条件如何にかかわりなく、富の欲求をあまりにも一面的に取り扱っていると批判した。彼は、社会の進化を全体的に捉えなければならないとし次のように述べている。「すべての国の経済は、両性の職業と仕事に関しても、富の性質・量・分配・消費に関しても、長い進化の結果であり、その過程においては連続性と変化がともに存在し、またそのうちの経済的側面はほんの特定の局面ないし位相にすぎないものなのである。そして、その結果については、歴史及び社会と社会進化の一般法則に求められなければならない。」さらにオーギュスト・コントは、経済学のような個別的社会科学の存在を否定し、それが綜合社会学によって取って代られるべきであると主張した。つまり複雑で多種多様な条件に依存している社会現象が、アプリオリな決定を許すような性質を有していないことに注意を喚起したのである。この歴史学派の主張に対し、アルフレッド・マーシャルは1920年に出版した主著『経済学原理』で次のように述べている。彼は、「経済論理」(エコノミック・オルガノン)と「教義」(ドグマ)を慎重に区別しなければならない。前者が、「ある種の真理を発見するために普遍的に適用しうる要具」であるのに対して、後者は、前者を適用することによって発見された特定の時代の社会の具体的な真理のことである。したがって、前者は「高度かつ超越的な普遍性」を有するけれども、後者はそうではない。彼は、歴史学派にはこの「経済論理」と「教義」の区別が理解されていない、としたのである。(根井雅弘『マーシャルからケインズへ』名古屋大学出版会、1989、pp36-48)

専門分野ごとに分業することの意義は大きいが、社会科学の分野では問題に接近する方法は無数にあり、蓄積されたデータが常に想像力を掻き立てるものである。全ての社会科学者、ジャーナリスト、労働組合活動家、政治家、そして市民は、貨幣とその量、貨幣をめぐる事実と歴史について真摯に関心を持つべきである。数値と向き合うことを拒む態度は、最貧層にある人々に利益とはならない。

2・21世紀資本主義の基本概念
T.ピケティが定義する「資本」の概念には、機械などの物的資本だけでなく、住宅、土地、金融資産(現金、債券、株式など)、知的財産権などが含まれており「富」の概念に近い。これは、彼の立論が実存の統計・記録およびその推計値に基づいているという制約の然らしめるところである。実際に彼は、富、資産,資本をほとんど同義に用いている。また「資本主義」についても厳密な定義ではなく、「世襲資本主義」などといった柔軟な使い方をしている。そこで、T.ピケティにはeconomic determinism(経済的決定論主義)と皮肉られるかもしれないが、R.ハイルブローナーに従いながら、改めて資本主義の諸概念について整理しておきたい。

1)「資本とは何か」
まず富とは何か。単なる「美徳のオブジェ」ではなく「権威」、「力=購買力、指揮権」である。富と資本は重なる部分はあるが同一物ではない。
資本とは、富の物理的な属性ではなく、「さらに大きな資本を生みだすという利用法」に向けられた富であり、その価値は市場で評価される。つまり、「富の増殖手段としての機能」であり、マルクスが「資本の飽くなき自己増殖のプロセス」と呼んだものに近い。
資本の本質は、「富の蓄積への衝動と無限を求める素朴な幻想に発する無意識の動機」と、この動機を補強する「競争・闘争心」とが結びついたものである。経済学でいう「効用の最大化」が、富を資本たらしめる動機ではない。
「富の蓄積への衝動」は、「帝国の際限ない拡大、王の神格化、崇拝」へと昔時の人々を駆り立てたのと同じ欲望である。軍事的栄光や個人的威光によって満たされる「無限を求める素朴な幻想」が、資本を駆り立てる衝動の本質である。ただし資本の蓄積は、社会を常に変革し物質的福祉を向上させる一方で、富の偏在と不平等をつくりだす、という点で帝国の栄光と一線を画す。

2)「資本主義とは何か」
資本主義、つまり「社会の変容を推進するプロセスとしての資本蓄積が経済活動の主体となる社会秩序」の成立には以下の条件が必要であった。第一に「半自立的だった経済がこれを包み込む国家から自由になり、取引の網の目が社会生活のプロセスそのものになるまで拡大し」、第二に「高貴さに欠ける人格の陶冶を阻む(アリストテレス)と貶められてきた経済活動の評価が引き上げられ尊敬されるようになる」ということである。資本主義が、ヨーロッパに自然発生したという出来事は、ローマ帝国の滅亡と旧秩序の崩壊、それに続く約1千年の封建社会のなかで活躍した冒険商人達によって実現した。「帝国の秩序」は、「資本主義の秩序」とあらゆる面で相容れなかったのである。また臣下への封土と農奴制に生産力の基盤をもつ分権的な中世の封建社会は、地域的に分断され、それぞれが孤立し暮らしも細分化されていたのである。
帝国時代の統一的な法、通貨、政府はなかったが、追剥の襲撃に備え武装した従者を連れた冒険商人が登場し地域をつなぐ役割を担うようになった。交易活動が拡大し勢いをつけると、冒険商人は町の暮らしの中に溶け込んでいく。その子孫が中心になって「都市(バーグ)」をつくり、「市民(バーガー=ブルジョワジー)」として、蓄えた経済力を背景に政治的な力を持つようになる。17世紀末のイギリス名誉革命(1688-89)、そして18世紀末のフランス革命(1789)を経て、彼等は旧勢力に代る「新勢力」として政治の支配者になっていった。それと共に新しい経済と社会秩序がその輪郭を現したのである。
因みに「資本主義」という言葉が使われるようになったのは19世紀後半のことで、イギリスの経済学者、A.トインビーが産業革命に関する講義の中で用いたとされている。

資本主義は、「つねに変化する社会秩序」であり、また富は不平等と分かち難く結びついていた。つまり、富に恵まれない個人は、生きていくために恵まれた個人に自らの労働を提供し、その対価を得る以外に途はなかったのであり、不平等とは「生産手段の所有者と生産手段を用いて働く者との間の不平等な関係」に他ならなかった。「商品としての労働力の市場での自由な交換取引」という経済学の抽象的な表現は、その裏にあるこの取引の本質を覆い隠す役割を果たしていたのである。

3)「資本主義と国家」
資本の蓄積のプロセスは、その効果として物質的福祉の向上とともに不平等をもたらし、経済だけでなく政治にも大きな影響を及ぼす。この資本主義が生みだす矛盾、政治的な影響に目を向けたのがK・マルクスであり、彼の「剰余価値説」、さらには「階級闘争論」であった。資本主義の政治的側面は、法的には社会秩序の支配原理として分離独立していながら、同時に「生涯連れ添う伴侶」のように経済と不可分な関係が成り立っている。部分的にではあるがその関係が注目されてきた。例えば「公共財」、「市場の失敗」と表現は様々だが、この両者は、抽象の世界から現実の世界に下りるとその境界は曖昧でありしばしば不可分である。資本主義秩序は、物的社会資本や教育関連の社会資本の整備を必要とするが、それらは国家の補助なくして形成され円滑に機能しない。地球温暖化など環境問題が大きくクローズアップされている。さらに近年の国際金融分野など野放しの蓄積をめぐる国境を超えた資本の競争が格差や失業を増大させ、その脅威から経済を守る国家の役割が一段と重要になっている。
もう一つが、資本蓄積のプロセスが国際的規模に広がり、事業体が所在する国民国家を超越する多国籍企業の増加である。この問題が資本主義と国家の伝統的な関係に新しい問題を投げかけている。生産のグローバル化が進むと多国籍企業のネットワークは各国の監視や規制の力の及ばないものとなり、政府は世界経済の相互浸透とそこから生じる問題にますます対処できなくなっている。

さらに1930年代の世界不況とその克服の過程で、国家と経済の関係は新たな段階に移行したのである。「経済が本来の活力を回復すること以外に、政府が経済的不安定の問題にできることはほとんどない」というそれまでの経済学の「レッセ・フェール」の通念が根本的に変化した。つまり、この時期に国家は、「完全雇用の達成に努力する」という新たな役割を担うことになったが、もちろん経済が国家に屈したのではない。
国家の役割が拡大したといっても、私的部門の活動を指導したり、況してや奪ったりすることではなかったのである。この新たな国家の義務について、理論的な貢献をしたJ.M.ケインズ自身が、資本主義の信奉者であり「この国家機能の拡大をできるかぎり非政治的ものとして描こうとした」のである。
ソ連の社会主義経済が瓦解し、資本主義と国家の役割についても新しい視点から注目されるようになった。
*「市場システムは、その分子を構成する無数の売り手と買い手の個々の出会いよりもはるかに大きく複雑である。市場システムは、全体を連結し調整する主要な手段ではあるが、資本主義のエネルギー源そのものではない、私的領域と公的領域とに権威を明白に二分するものではない。・・・ソ連経済はミクロの秩序の欠落のために崩壊したのである。市場のパラドックスは、『自分の富の増大』だけを求める個人の集合から秩序がつくられるということではなく、そうした集合の中でなければ市場は機能しないということである。」R.ハイルブローナー『21世紀の資本主義』、pp74-77。

そして20世紀後半になると、福祉国家論が凋落し、ケインズ経済学に代ってM.フリードマンの新自由主義経済思想が登場する。また近年に至り、「資本主義の経済秩序が、普通考えられているよりはるかに強く政治秩序と不可分に結びつき依存している」という認識が強まり、良かれ悪しかれ「資本主義の政治化の進行」がしているのである。
さらにいえば、「民主主義」と呼ぶ政治的自由は、これまで資本主義経済秩序の下でしか存在してこなかった。つまり、資本主義は「自由を実体化すると同時に、自由そのものの表現でもある社会秩序」であるという認識が改めて強調されるようになったのである。
*ミルトン・フリードマン(村井章子訳)『資本主義と自由』、日経BP社、2008(原著は1962年に出版)。なお、M.フリードマンは分配の不平等について次のように述べている。「資本主義社会の方が他の体制の社会よりも所得や富の分配の不平等が少ないということだ。資本主義が発展した社会ほど不平等は少ない。…過去と比較しても、資本主義社会では経済の進歩により不平等が大幅に減ってきたことがわかる。」(M.フリードマン、前掲書、pp306-307)

T.ピケティは、最後の章で累積する国家債務の問題点について触れている。政府債務の意味は、貧しい人たちから金持ちへ、適度の貯蓄をもつ人々から政府に貸す金のある人々への「間接的な富の再分配」である。一般論になるが、金持ちが貸付よりも税金として政府に納めるべきだというのが彼の見解である。第二次大戦後に生起した多額の政府債務の支払い拒絶(およびインフレによる債務の減価)以降、政府債務とその社会的再分配に関して多くの危険な幻想がつくり出されてききた。その幻想はできるだけ早く払拭しなければならない。T.ピケティは、政府債務の規模がどのレベルであるべきかについて論じていないが、子供や孫の世代に恥ずべき負債を残し、それを悔いて許しを請うことは何の意味もないと断じている。そして、債務返還の手段、すなわちインフレーション、緊縮経済、課税の三つの策の中で、累進的資産課税を選択する。これそが政治に任せるのではなく公正で効率的な国家債務解消の手段であると論じている。莫大な負債の利息払で教育をはじめ将来のための必要な投資が切り詰められ、しかもそれが低成長期の下で長期間続くという事実がある。既得利益にしがみつきそのツケを次世代に廻すという愚行がいつまで繰り返されるのか。政治の劣化が、資本主義システムを不安定にするという新たな課題が登場し
ているといえる。

4)「資本主義の将来」
これまで偉大な経済学者達は誰も資本主義に穏やかな長期的未来を予想していない。T・ピケティも然りである。いずれも資本主義を、「歴史的方向性をもった社会秩序」であり、個人相互の競争によって駆り立てられる私利追求の普遍的な衝動を活力源とする社会と捉えていた。ただ資本主義が自らのゆるぎない力による働きのみで勝利を収めると考えた人物はいなかったのである。
また全員が「資本主義は自己破壊的である」と考えていたが、その理由の一つが、資本主義の歴史的な独自性は、常に自ら変化し続けるというダイナミズムそのものがシステム最大の敵であるという自己矛盾を内包していることである。つまり、資本主義のマクロ秩序とミクロ秩序をうまく維持することが難しいという矛盾である。もう一つが、富の偏在、不平等に象徴される倫理的正統性に対するうしろめたさであり、これまた資本主義が内包する構造的矛盾に他ならない。
このような問題を抱える資本主義の経済システムは、これまで考えられていた以上に強く政治秩序と結びつく可能性があることを示唆している。つまり、良かれ悪しかれ「資本主義の政治化」の進行は避けられないのである。そして、T.ピケティの労作は、このような資本蓄積プロセスの構造的矛盾を長期的なデータで具体的に裏付けたところに大きな意義がある。

①アダム・スミス:すべての人の福祉が全般的に向上する「完全に自由な社会」を描いたが、社会が資源や地理的条件によって与えられている富の全量を蓄積してしまった時点で、成長も止まると予想した。増加し続ける人口に対して生産の増加が止まり、その生産物を分け合わなければならなくなる時点で経済は下降に転じる。さらに労働者階級の道徳的堕落が生じるとし、資本主義の最終的な運命についてはエコノミストの中でもいちばん悲観的であった。

②カール・マルクス:アダム・スミスのピン工場と異なり、繊維工場を生産の要として描いたマルクスは、生産拡大のプロセスは円滑で安定したものではなく激しい変動と混乱を伴うと予想した。また労働の不当価交換を前提にした資本蓄積の過程をprinciple of infinite accumulation(資本の無限蓄積の原理)として捉えたが、対する労働者階級は「愚かで無知な」集団、既存秩序の受身の犠牲者ではなく、プロレタリアートとして自らの未来の自由を勝ちとる主体とならねばならないと考えた。こうしてマルクスは、社会主義の発展の前に資本主義が消滅するという未来を予想した。

③ジョン.M.ケインズ:資本主義の市場機能を重視したが、市場原理で動く社会には慢性的な失業が起こると考え、資本主義没落のシナリオを描いていた。この悲観論は技術的可能性に対する静態的な見方を反映している。ただ資本主義の政治的可能性に対して驚くほど楽観的な見方をしている。彼のヴィジョンには、労働者階級に対するスミスの絶望的な評価も、革命の可能性に対するマルクスの楽天的な評価もない。資本主義は常に変化する社会秩序であり、資本と国家の関係は柔軟で対応力富んでいると考えた。ケインズのヴィジョンは均衡ある経済と均衡ある政治ということであり、自ら「穏健な保守主義」と述べている。

④ヨーゼフ・シュムペーター:「創造的破壊」による資本蓄積のダイナミズムと投資のフロンティアに注目し、競争によって古い資本が容赦なく破壊されるとするマルクスの考え方を否定したが、なお「資本主義は生き延びることはできない」と、その将来を悲観した。 資本主義の文化が、さまざまな価値を腐食させると考えていた。そして、資本主義的信念の核心が維持されるかどうかは、ほかの基本的な価値体系と同じく、究極的には理性的擁護論を超えたところで決まり、それは資本価値という非情な試練の前に萎えていくであろう、と考えていた。

⑤R.ハイルブローナー:資本主義の先に何があるのかと問いかけている。ソ連社会主義社会の経験、そして社会主義的資本主義を追求してきたスウェーデンの試み、これらを超えるアイデアとして「参加型社会」を考えた。利己心のみによる意思決定や、富や地位にめぐまれた個人が一方的におこなう意思決定に代えて、「討議と投票による広い共通の意思決定が行われる社会」を想定したのである。中央からの指令でもなければ市場の圧力とインセンティブへの従属でもない方法による社会の統合、つまり「参加」によって調整が行われる社会秩序である。そこでは、私有財産制と市場機能による調整・統合に代って経済活動のすべての段階で、すべての市民が討議と投票によって集団的意思決定に参加する。また資本主義の経済的不平等に代って、社会的、経済的平等が社会の規範として広く認められる。

3・補足 T.ピケティの略歴
1971年生パリ郊外に生まれる。名門のパリ高等師範学校(ENS)を経て、1933年に22歳で国立社会科学高等研究院(EHESS)とロンドンスクール・オブ・エコノミクス(LES)から経済学博士の称号を取得。論文のテーマは富の再分配で、この当時から今日まで格差問題に取り組む姿勢は一貫している。
この後すぐに、マサチューセッツ工科大学(MIT)の准教授に採用された。しかし、米国の経済学が数学を駆使して「科学っぽく見せる」ことに頼り、数式になじまない「複雑な現実から目を背けている」とし、2年でMITを辞めフランスに戻る。2000からEHESS教授、2007年からパリ経済学校(EEP)の教授を務めている。


参考文献
1・Thomas.Piketty, CAPITAL in the Twenty First Century, Belkap Harvard,2013.
2・R.ハイルブローナー(中村達也外訳)『21世紀の資本主義』ダイヤモンド社、1994。
3・M.フリードマン(村井章子訳)『資本主義と自由』日経BP社、2008.
4・特集:日本で米国流格差を論じる愚「ピケティの罠」、中央公論、2015年4月号。
5・根井雅弘『マーシャルからケインズへ』名古屋大学出版会、1989。

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