1・T.ピケティの『21 世紀の資本』
1)はじめに
最初に、トマ・ピケティの略歴を紹介する。
1971 年パリ郊外の裕福な家庭に生まれる。名門パリ高等師範学校(ENS)を経て、1993年に22 歳で国立社会科学高等研究院(EHESS)とロンドンスクール・オブ・エコノミクス(LES)から経済学博士号を取得。論文のテーマは富の再分配で、この当時から今日まで格差問題に取り組む姿勢は一貫している。
この後すぐに、マサチューセッツ工科大学(MIT)の准教授に採用された。しかし、米国の経済学が数学を駆使して「科学っぽく見せる」ことに頼り、数式になじまない「複雑な現実から目を背けている」とし、2 年でMITを辞めフランスに戻る。2000 年からEHESS教授、2007 年からパリ経済学校(EEP)の教授を務めている。なお政治的にはフランス社会党に近い立場をとっている。
この本の主題は、21 世紀の資本主義社会における富と所得分配である。20 世紀末から21世紀はじめにかけて顕著になってきた、資産家に富が集中するという分配の不平等化がさらに進めば市場経済は一体どうなるのか。先進国経済が成熟化に向かい低成長時代が予想されるなかで格差は拡大し続け、19 世紀のatrimonia1 capitalism(世襲資本主義)時代の再来となるのだろうか、と核心の問題に迫っている。convergence(収束)とdivergence(分岐)を繰り返す資本蓄積過程のダイナミズムとその不安定性、さらには富と所得分配
の不平等の拡大など、近年経済学が疎かにしてきた基本的な問題に対し、ピケティは演繹的なeconomic determinism(経済的決定論)と異なる仕方でアプローチする。
彼は次のように述べている。「この本を書き進めるなかで、理論、抽象的なモデルや概念に訴えようとした時もあったができるだけそれは控えた。理論の適用は観察している諸変化をよりよく理解できる場合に限定した。例えば、所得、資本、経済成長率、そして資本収益率などはいずれも抽象的な概念であり、数学的な確実性というより理論的な構築物である。これらの概念によって歴史的な事実を面白く分析できることは確かだが、これらの概念に対応する事象をどの程度正確に測定できているのか、その精度と限界を念頭におかな
ければならない。」
*Thomas.Piketty, CAPITAL in the Twenty First Century, Belknap Harvard,2013、PP33。彼は先人たちのように経済的決定論の視点から、「資本主義」そのものを俎上に乗せるのではなく、もっと幅広く政治的、社会的、文化的に歴史的データに即しながら、「市場経済」における「資本の機能、ダイナミズム」を実証的、具体的に考察したのである。ピケティの関心からすれば、「資本主義とは何か」或いは「資本主義と国家」などと先験的に抽象的理論を構築することに興味はなかったのである。この本は21 世紀の「資本論」であるという一部にある指摘の背景である。因みにカール・マルクスの資本論は1867 年に第一部が出版されている。
つまり、過去200 年余に及ぶ約20 か国の徴税記録、所得申告書等をデータベース化して、富と所得の分配について詳細に比較分析し、経済、政治、哲学、社会的視点から多角的な考察を行ったのである。ただ、彼も断っているが、過去の記録には欠陥が多く不完全なために、導き出した結果についてもさらなる考察の余地を残していることに留意すべきであろう。この本は、経済の書であると同じ程度に歴史の書である。
*経済発展と所得分配については、これまで1950 年代に提示されたノーベル賞経済学者サイモン・クズネッツの「クズネッツ仮説」が通説となっていた。工業化の初期段階では所得は不平等化するが、経済発展とともに所得分配は次第に平等化するというもので、平等化は経済発展の内在的論理であると理解されてきたのである。クズネッツも徴税記録を使って資産所得と労働所得の考察をおこなっており、ピケティの手法と基本的に同じである。ただクズネッツは、データの範囲が20 世紀前半に限定されていたため、200 年の長期期間を対象にしたピケティの結論とは全く異なる結論に到達した。クズネッツが対象とした期間は、2回の世界大戦によって物的資本が破壊され、インフレによって金融資産が減価し、さらには国有化で民間資本が減少するなど様々な理由で蓄積資本が減少したのである。ともあれ、クズネッツ仮説は、逆U 字型の「Kuznetscurve)」として広く浸透し、資本主義の将来に明るい展望を与えたことは確かである。
ピケティは、この仮説は冷戦時代の産物だったとも評している。
2)r>gの不等式と市場経済の論理的な矛盾
ピケティは、まず民間資本の総量とその資本が1年間に生み出す付加価値、つまり国民所得の関係、資本/所得比率の動向に注目する。つぎに資本収益率rと国民所得成長率gの関係について主要国の長期時系列データの詳細な比較分析をおこなっている。なお資本の量は、貯蓄率sを年間の所得成長率をgで除したもので、β=s/gと表示される、βは資本の総量、sは貯蓄率をしめし長期的に10%前後で安定していた。また国民所得に占める資本所得の比率α=r×βの動きもデータで考察し、αがほぼ20~30%の範囲で変動していることを確かめる。
ピケティは、20 世紀前半を除くと、資本/所得比率は6 倍から7 倍と一貫して高い値を示し資本蓄積が大きかったこと、さらに資本収益率が国民所得の成長率をつねに上回っていたことを明らかにする。この事実は、資本の所有者の所得が勤労者の所得よりつねに大きいこととほぼ同義である。そして、このrがgを上回るという不等式は、市場経済が内包するfundamental logical contradiction(基本的な論理的矛盾)であること、それがあくまで歴史的な事実であり経済理論に基づく演繹的な帰結ではないことを指摘する。理論的に
は、r=g、つまり資本の限界生産性が所得成長率と等しくなる時点で資本は過剰となるという想定が成り立つが、後述するように実際にはさまざまな政治的要因が関与し、r>gの不等式が成立していたのである。
次に、資本蓄積と所得分配のダイナミズムは、収束と分岐を交互に推し進める強力な市場経済のメカニズムである。この不安定で不平等な力はつねに強力であり、それを抑制する内発的なプロセス、力は存在しない。まず収束、つまり不平等の縮小と圧縮に向かうメカニズムとそれを動かす力は、市場の需給法則や、資本と労働の移動によってよりも、はるかに知識の伝播とそのための訓練・技能に対する投資によってもたらされた。そしてこの結果生じた知識の普及・拡散こそが、不平等の縮小のみならず生産性上昇のカギとなったのである。
そして分岐は、この収束に向かうメカニズムを圧倒して不平等を拡大する強力な力である。しかも技能等の教育投資が十分でかつ市場の効率性が発揮されているなど知識普及の条件が整っていても、その勢いが衰えないという厄介なものである。さらに、この分岐の力は、その資本量が大きいほど収益力を高めるさまざまな工夫が可能でありその効果が大きくなる。
第二に、富の分配の歴史はつねに時の政治と深く係っており、経済的メカニズムのみに帰することはできない。既述したように1910 年代から1950 年代にかけて殆どの先進国に生じた不平等の縮小は、二回の大戦それ自体の影響、つまり蓄積された富の破壊と戦争のショックに対処しようという政策の結果であった。そして1980 年代以降に再び不平等が拡大したのは、主としてこの数十年間のアメリカ、イギリス等アングロサクソン系国家が主導した新自由主義の経済政策、即ち経済再生のための課税および財政政策の変化に依存している。この背景には、第二次大戦の敗戦国であったドイツ、日本が驚異的な経済復興を遂げ、圧倒的な経済力を誇示したアメリカを脅かす存在にまで到達したこと、さらにパックス・アメリカーナの覇権維持のための巨額な財政支出が負担となりはじめたことなど、アメリカ固有の事情が関連していた。
資産家の中味も変わった。第一次大戦までは、地代、配当収入等保有資産からの収益に依存していたが、1980 年代以降は労働報酬に依存するエリート経営者層、super managers(スーパーマネジャー)の比率が高まっていく。特にアメリカでこの傾向が明瞭である。ともあれ所得分配の不平等の歴史は、時々の経済的、社会的そして政治的当事者たちの社会正義に対する観念によって、さらには彼等の政治力とその選択の結果によって形成されてきたのであり、いわば当事者たちの合作だったのである。
*この時期のアメリカ経済学の主流は、ケインズ経済学に対抗し政府規制の廃止と福祉政策を批判した新自由主義の経済学であった。ここでその代表的存在であるM.フリードマンの所得分配論を確かめておこう。彼は、市場経済における所得分配の原則は「各人へは、それぞれが所有する手段を使って生産したものに応じて行われる」ことだとし、これこそが「本当の意味で結果の平等」だと述べている。例えば、同程度の能力と手段を持ち合わせているが、一人は怠けるのが大好き、もう一人は商売熱心だとすると、この二人を平等に扱うためには市場を通じた稼ぎを不平等にしなければならない。また面白くやりがいのある仕事より辛い汚れ仕事に高い報酬を支払う必要がある。所得の差が職業や仕事の中味の差を埋め合わせていることになる。
つまり、各人を平等に扱うとは、人々の好みを満足させることだともいえる。ただ別の不平等がある。くじを買う人々の所得を事後的に再分配するのは、運試しというくじを買う行為そのものを否定することになる。職業選択やリスクの高い事業を選ぶといった行為は不確実性に対する各人の好みを反映するが、その行為が所得の不平等の原因となっている。もう一つが、生まれつき持っている不平等、つまり能力や相続財産に起因する不平等である。しかし、両親から素晴らしい美声を授かって巨万の富を稼いだり、両親から相続した財産で高収入を得るのは不当だといえる根拠はどこにもない。子供に資産を残してやりたいと思う金持ちの親にはいくつかの方法がある。資産を教育費に投じて公認会計士の資格を取らせる、あるいは事業を起こして後を継がせる、さらには信託基金を設定し利息や運用益が入るようにする。
いずれの場合も収入が増えるだろうが、第一の方法は本人の能力による収入、第二が本人の働きによる利益と見なされるのに対し、第三の方法は相続財産による収入と見なされる。しかし、この三つを区別するまともな根拠は存在しないのである。自分の能力や才能で生み出した富は好きにしてよいし、自分で築き上げた富が生む利益も好き勝手にしてよいが、富を子供に譲るのは認められないというのは、つじつまが合わない。フリードマンは、「生産に応じた分配、その結果としての不平等の容認といった資本主義の原則に対して現在なされている反論には根拠がない」と述べている。
なおこの「市場原理主義」ともいわれる市場経済に対する信頼は、アメリカの歴史的な環境を抜きにしては説明できない。第一に、アメリカではヨーロッパと異なり民主主義が産業化に先行して確立した。そのために人々が経済政策においても不公正であることを許容しなかった。経済民主主義である。第二に、アメリカでは、マルクス主義の影響がほとんどなかったために大企業に対する反感がなかったことである。ヨーロッパではマルクス主義という共通の敵と戦うために市場主義と財界主導(大企業主義)は団結せざるを得なかったのであり、市場主義の修正を余儀なくされたのである。詳しくは、M.フリードマン(村井章子訳)『資本主義と自由』日経BP 社、2008、pp294-301 を参照のこと。
ピケティは、1910-2010 年代のアメリカと、1870-2010 年代の英、仏、独3か国について、それぞれ国民所得に占める上位10%の所得者のシェア(アメリカ)、資本/所得比率の推移(英仏独3 か国)を示すグラフを考察し、所得分配が「U 字型カーブ」を描いているという結論を導き出している。アメリカは1920 年代から70 年代に上位10%のシェアは35%台に低下した後、1980 年代から2010 年にかけて再び19 世紀から1910 年代の45-50%台に盛り返した。またヨーロッパ3 か国の資本/所得比率も、1910-1970 年代に200-300%台に低下した後、1980 年代から増大しはじめ戦前の水準に迫っている。
ピケティは、最近30 年の動きは、これらの国々が、戦禍と、そこからの復興をめざす高成長期を経て再び19 世紀から20 世紀初めの時期を特徴づける低成長の時代に移行したためであるとしている。低成長経済の下では、毎年の所得から蓄積に回る所得(貯蓄)は限られているため、過去に蓄積された富が相対的に重要になる。つまり資本収益率が高ければ、つまりr>gという不等式が成り立つとき、分配の不平等はさらに大きくなるのである。
*T.ピケティ、前出、pp22-27。
3)ピケティの結論
『21 世紀の資本』からいくつかピケティの主張をまとめてみよう。
第一に、私有財産制に基礎をおく市場経済は、所得の不平等化を促す強い力を内包している。ピケティは、これを「市場経済の基本的な論理的矛盾」だというが、所得分配の不平等は1980 年代からふたたび拡大しはじめ、グローバル化する経済の中でその速度を速めている。しかも長期データベースから推定される平均資本収益率4-5%、国民所得の増加率1-1・5%という変動パターンが21 世紀も継続されるものと予想される。低成長、そしてr>gの関係によって、世界的規模における不平等の拡大が続きやがて、例えば19 世紀から20 世紀初めに見られた世襲資本主義の時代が訪れるだろう。そして政治的な壁に突き当たることになろうが、いくつかシナリオがあり一方向と決まっているわけではない。
*因みにマルクスは、資本論の中で資本の「無限蓄積の原理」を唱えている。資本家による剰余価値の追求、労働者搾取の過程が無限に続くと考え、労働者階級が団結し資本家に立ち向かうべきだとする階級闘争論を展開したのである。
ただ実際の歴史的経過は、労働者が彼が予想したような絶対的窮乏の状況に陥ったのではなく、それなりに物質的豊かさの恩恵を受けた。マルクスの立論には、生産性の上昇という視点が欠落していたのである。
第二に、その対策として有効なのが、世界各国の緊密な協調の下で資産所得に対する累進的な課税である。この累進的資産課税によって、際限のない不平等の拡大を回避すると共に、市場競争を維持し資本蓄積のインセンティブを堅持することが可能になる。しかも資産に対する累進課税は、代替的手段、すなわちインフレや緊縮経済に比べて公正であり効率的である。ただ実現のためには国民の資産保有の状況を確認するデータの完備が不可欠である。
ピケティは、市場経済におけるミクロの秩序、つまり個人を動かしてその当人が意識的に追求してはいない社会目標達成に導く「見えざる手」を重視しそれに拘っているところがある。この市場経済のパラドックスは、「自分の富の増大」だけを求める個人の集合が秩序をつくるのではなく、そうした集合の中でなければ市場は機能しないというところが核心なのである。
* 旧ソ連の計画経済が混乱し機能しなかったのは、「私的利益追求が社会的に有用な行動を導くようなミクロの秩序」が欠落していたためである。計画担当の官僚機構はもちろんだが、その計画を実行する現場にも「何か手を打とうという強力なインセンティブ」が欠けていた。官僚たちの利己心は何かをするよりも何もしないほうがいいと教えたのである。経済活動の官僚化である。計画経済の失敗は歴史の偉大な教訓である。(R.ハイルブローナー(中村達也他訳『二十一世紀の資本主義』ダイヤモンド社、1994、pp77-82))
次に、1917 年から1989 年まで続いた資本主義と共産主義の二極対立が、所得分配の不平等に関する調査研究を不毛にしてきたが、いまやその拘束が外れたのである。具体的な価格、賃金、所得、資産の動き、そして変化が社会的正義の観念や政治的意識にどう影響するのか、さらにその結果として生まれる政治制度、秩序、政策が最後には社会と政治の変化をもたらす。
このような経済、政治、社会、文化の多領域から賃金と富の問題に接近することは可能であり、かつ不可欠である。専門分野ごとに分業することの意義は大きいが、社会科学の分野では問題に接近する方法は無数にあり、蓄積されたデータが常に想像力を掻き立てるものである。全ての社会科学者、ジャーナリスト、労働組合活動家、政治家、そして市民は、貨幣とその量、貨幣をめぐる事実と歴史について真摯に関心を持つべきである。
経済学は、歴史学、社会学、人類学、そして政治学と共に社会科学の一専門分野であるが、他分野に比べて経済学がより「科学的」で特別の地位を占めるとする主張する根拠は何もない。敢えていえば「political economy」であり、political(政治的)、normative(規範的)、さらにmoral(道徳的)な目的を併せもつ点で他の社会科学とは異なる。
例えばどんな経済政策、制度がより理想的な社会に近づくかと問う際に、経済学は自らの専門分野に閉じこもるのではなく、政治経済学として議論を広く展開し、さらに解決策の選択のためには、他分野の学者はもちろん一般市民も参加できる討論の場が設けられるべきである。
*1998 年にノーベル経済学賞を受賞したハーバード大学教授、アマルティア・センは、次のように指摘している。かつ
て啓蒙主義の時代に、ホッブスやカント等に導かれ展開された「先見的制度尊重主義」の伝統から離れること、例えば「何が完全に平等な制度か」が問題ではない。現実の状況の下で「どうすれば正義は促進されるか」という選択こそが答えるべき問題である。実現不可能な、超越されることのない完全な状態を特定化するよりも、実現可能ないくつかの選択肢から選択するために正義を比較する枠組みが必要になる。つまり正しい制度と規則と見なされるものの設定だけに関わるのではなく、実際の実現と達成に焦点を合わせる必要性こそが論点でなければならない。(アマルティア・セン(池本幸生訳)『正義の観念』明石書店、2011.pp41-43)
ピケティは、最後の章で累積する国家債務の問題に触れている。政府債務の増加、つまり歳入を超える歳出を賄うための国債発行は、貧しい人たちから、政府に貸す金(=国債の購入)のある資産家への「間接的な富の再分配」に他ならない。しかも債務返還の方法、すなわちインフレーションによる債務の減価、緊縮経済と課税強化の三つの策の中で、過去に多用されてきたはインフレを中心とした三つの組み合わせ対策だったが、インフレには逆進的な富の再分配機能が備わっている。
ピケティは、資産家に対する累進的な資産課税こそが公正で効率的な国家債務解消の手段であると述べている。さらにツケの償還方法もさることながら、莫大な負債の利息払や元本償還が長期化すれば、その間の教育をはじめ技術開発など将来のための必要な投資が切り詰められていく。そして、そのしわ寄せが全て次世代に掛ってくる。
ピケティの富の再配分論に対し、日本社会の所得分配は、外国、例えばアメリカに比べて相対的に平等ではないか、という意見が少なくない。しかし、日本は規制によって競争を制限し所得の不平等、格差の拡大を抑えてきたのであり、その代償として経済システムの新陳代謝や社会全体の所得拡大を犠牲にしていることを看過すべきでない。そのツケ、つまり景気対策や社会保障や高齢者医療のための財政支出の増加を国債に依存すれば、国家債務の膨張という形で次世代に負担を回していくことになる。世代間の格差拡大であり、問題の本質は基本的に変わらないというべきであろう。
*市場競争は、人々の間に発生する所得格差を解決するのではなく拡大する。それでも競争は、社会全体として見れば資源の効率的使用によって全体の所得を増大させ、市場経済は人々を豊かにする。豊かな人々から貧しい人々への所得再配分の余力が生まれ、貧しい人々の生活水準も引き上げることができる。つまり、市場で厳しく競争して、国全体が豊かになり、その豊かさを再配分政策で全員に分け与えることができる。
しかし、アメリカのシンクタンクのピュー研究所の調査によれば、「格差が拡大したとしても市場競争で人々はより良くなる」という意見に賛成する人の割合は、日本人では49%である。ところが、世界の多くの国ではこの比率が70%を超える。アメリカはもちろん中国やインドでは、市場経済に対する信頼があるからだ。また日本人は、所得再分配政策を国にも頼っていない。「自立できない非常に貧しい人たちの面倒をみるのは国の責任である」という考え方に賛成する人の比率は、多くの国で80%を超えるが、日本では59%と例外的に少ない。競争嫌いの日本社会は世界の中で極めてユニークな存在なのである。詳しくは、大竹文雄『競争と公平感―市場経済の本当のメリット』(中公新書)、2010、pp68-70。
ピケティから離れるが、政府債務の増大をdemocratic deficit(民主主義の赤字)であるとして、日本を含む西欧諸国が「衰退の危機」に立っていると警鐘を鳴らすのが、ハーバード大学の歴史学教授、二アール・ファーガソンである。彼は、経済が低成長に陥り格差が拡大するのは、国の「法と制度」が衰退し、エリートによるレントシーキングが、経済と政治のプロセスを支配するときだ、とも述べている。そして、その端的な兆候が西欧や日本など民主主義国に見られる国家債務の増大だとも指摘している。国家債務、つまり公表された債務と年金・社会保障分野における潜在的な債務の総額は、現役世代が、若者や未だ生まれぬ者たちにツケを回して暮らす手段と化し、民主主義国に蔓延しはじめているというのである。高齢化社会に向かう中で、民主主義政治の劣化が資本主義システムを不安定にするという深刻な問題が登場しているといえる。
*N.ファーガソン(櫻井祐子訳)『劣化国家』東洋経済新報社2013、pp181-182。2012 年度のイギリスBBC のリース・レクチャーをまとめ出版したものである。
2・21 世紀資本主義の基本概念
1)資本とは何か
この章では、R.ハイルブローナーの『二十一世紀の資本主義』を中心に既存文献に依拠しながら、経済学における資本主義の諸概念、論点について整理し、ピケティの大作をよりよく理解するための一助としたい。『二十一世紀の資本』では、経済学の理論、抽象的なモデルや概念の適用を意図的に抑制されている。しかし、ピケティの論旨を理解するためにはある程度の経済学的知識が不可欠なことも確かである。
*R.ハイルブローナー(中村達也外訳)『二十一世紀の資本主義』ダイヤモンド社、1994。
ピケティが定義する「資本」の概念には、機械などの物的資本だけでなく、住宅、土地、金融資産(現金、債券、株式など)、知的財産権などが含まれており「富」の概念に近い。これは、彼の立論が実存の統計・記録およびその推計値に基づいているという制約の然らしめるところである。実際に彼は、富、資産,資本をほとんど同義に用いている。また「資本主義」についても厳密な定義ではなく、「世襲資本主義」などといった柔軟な使い方をしている。
遡って富とは何か。単なる「美徳のオブジェ」ではなく「権威」、「力=購買力、指揮権」である。この富と資本は重なる部分はあるが同一物ではない。資本とは、富の物理的な属性ではなく、「さらに大きな資本を生みだすという利用法」に向けられた富であり、その価値は市場で評価される。つまり、「富の増殖手段としての機能」であり、マルクスが「貨幣の飽くなき自己増殖のプロセス」と呼んだものに近い。
資本の本質は、「富の蓄積への衝動と無限を求める素朴な幻想に発する無意識の動機」と、この動機を補強する「競争・闘争心」とが結びついたものである。経済学でいう「利己利益の追求」とか「効用の最大化」といった抽象的な概念が、富を資本たらしめる動機ではない。「富の蓄積への衝動」は、「帝国の際限ない拡大、王の神格化、崇拝」へと昔時の人々を駆り立てたのと同じ欲望である。軍事的栄光や個人的威光によって満たされる「無限を求める素朴な幻想」が、資本を駆り立てる衝動の本質である。ただし資本の蓄積は、社会
を常に変革し物質的福祉を向上させる一方で、富の偏在と不平等をつくりだす、という点で帝国の栄光と一線を画す。
*ケインズは、『雇用・利子および貨幣の一般理論』の中で、この「富の蓄積への衝動」をアニマルスピリットという言葉で表現している。一般的に経済活動は合理的動機に基づいて行われるが、必ずしも合理的に説明できな「不確定な心理」に駆られて行動する。これが事業家を事業家たらしめているもう一つの側面である。
2)「資本主義とは何か」
資本主義、つまり「物質的福祉向上をめざし社会の変容を推進するプロセスとしての資本蓄積が経済活動の主体となる社会秩序」の成立には以下の条件が必要であった。第一に「半自立的だった経済がこれを包み込む国家から自由になり、取引の網の目が社会生活のプロセスそのものになるまで拡大すること」、第二に「高貴さに欠け人格の陶冶を阻む(アリストテレス)と貶められてきた経済活動の評価が引き上げられ尊敬されるようになること」の二つである。資本主義が、ヨーロッパに自然発生したという歴史的事件は、ローマ帝国の滅亡と旧秩序の崩壊、それに続く約1千年の封建社会のなかで活躍した冒険商人達によって実現したのである。
「帝国の秩序」は、「資本主義の秩序」とあらゆる面で相容れなかった。この中間にあった中世の封建秩序は、臣下への封土と農奴制に生産力の基盤をもちながら地域的に分断され、それぞれが孤立し暮らしも細分化されていた。古代帝国の統一的な法、通貨、政府はなかったが、追剥の襲撃に備え武装した従者を連れた冒険商人が登場し、地域をつなぐ役割を担うようになった。交易活動が拡大し勢いをつけると、冒険商人は町の暮らしの中に溶け込んでいく。その子孫が中心になって「都市(バーグ)」をつくり、「市民(バーガー=ブ
ルジョワジー)」として、蓄えた経済力を背景に政治的な力を持つようになった。17 世紀末のイギリス名誉革命(1688-89)、そして18 世紀末のフランス革命(1789)を経て、彼等は旧勢力に代る「新勢力」として政治の支配者層に加わった。それと共に新しい経済と社会秩序がその輪郭を現したのである。
因みに「資本主義」という言葉が使われるようになったのは19 世紀後半のことで、イギリスの経済学者、A.トインビーが産業革命に関する講義の中で用いたとされている。
資本主義は、「つねに変化する社会秩序」であり、また富は不平等と分かち難く結びついていた。つまり、土地から切り離された資産のない個人は、恵まれた個人に自らの労働を提供し、その対価を得る以外に生きていく途はなかったのであり、不平等とは「生産手段の所有者と生産手段を用いて働く者との間の不平等な関係」に他ならなかった。「商品としての労働力の市場での自由な交換取引」という経済学の抽象的な表現は、その裏にあるこの取引の本質を覆い隠す役割を果たしていたのである。
3)「資本主義と国家」
資本の蓄積のプロセスは、その効果として物質的福祉の向上とともに不平等、格差をもたらし、経済だけでなく政治にも大きな影響を及ぼす。この資本主義が生みだす矛盾、政治的な影響に目を向けたのがカール・マルクスであり、彼の「剰余価値説」、さらには「階級闘争理論」であった。資本主義の政治的側面は、法的には社会秩序の支配原理として独立していながら、同時に「生涯連れ添う伴侶」のように経済と不可分な関係が成り立っている。この秩序は、契約や自由の概念の法制度的確立はもとより、物的社会資本や教育関連の社会資本の整備を必要としており、それらなくして円滑に機能することはできない。例えば「公共財」、「市場の失敗」、「公共事業」、「社会保障制度」と表現は様々だが、この両者、つまり経済と国家は、抽象的理論の世界から現実の世界に下りるとその境界は曖昧でありしばしば不可分である。
地球温暖化など環境問題が大きくクローズアップされている。さらに近年の国際金融分野など野放しの蓄積をめぐる国境を超えた資本の競争が格差や失業を増大させ、その脅威から経済を守る国家の役割が一段と重要になっている。
もう一つが、資本蓄積のプロセスが国際的規模に広がり、事業体が所在する国民国家を超越する多国籍企業の増加である。この問題が資本主義と国家の伝統的な関係に新しい問題を投げかけている。事業のグローバル化が進むと多国籍企業のネットワークは各国の監視や規制の力の及ばないものとなり、政府は世界経済の相互浸透とそこから生じる問題にますます対処することが難しくなっている。
遡って1930 年代の世界不況とその克服の過程で、国家と経済の関係は新たな段階に移行した。「経済が本来の活力を回復すること以外に、政府が経済的不安定の問題にできることはほとんどない」というそれまでの新古典派経済理論の「レッセ・フェール」の通念が根本的に変化したのである。つまり、この時期に国家は、「完全雇用の達成に努力する」という新たな役割を担うことになったが、もちろん経済が国家に屈したのではない。
ただ国家の役割が拡大したといっても、私的部門の活動を指導したり、況して奪ったりすることではなかったのである。この新たな国家の義務について、理論的な貢献をしたJ.M.ケインズ自身が、資本主義の信奉者であり「この国家機能の拡大をできるかぎり非政治的ものとして描こうとした」のである。ソ連の社会主義経済が瓦解し、資本主義と国家の役割についても新しい視点から注目されるようになった。
*「市場システムは、その分子を構成する無数の売り手と買い手の個々の出会いよりもはるかに大きく複雑である。市場システムは、全体を連結し調整する主要な手段ではあるが、資本主義のエネルギー源そのものではない、私的領域と公的領域とに権威を明白に二分するものではない。・・・ソ連経済はミクロの秩序の欠落のために崩壊したのである。市場のパラドックスは、『自分の富の増大』だけを求める個人の集合から秩序がつくられるということではなく、そうした私的利益を追求する自由な個人の集合の中でなければ市場は機能しないということである。」R.ハイルブローナー『二十一世紀の資本主義』、pp74-77。
20 世紀後半になると、福祉国家論が凋落し、ケインズ経済学に代ってM.フリードマンの新自由主義経済思想が登場する。そして近年に至り、「資本主義の経済秩序が、普通考えられているよりはるかに強く政治秩序と不可分に結びつき依存している」という認識が強まり、良かれ悪しかれ「資本主義秩序の政治化」が進行しているのである。
例えば「民主主義」と呼ぶ政治的制度は、これまで資本主義経済秩序の下でしか存在してこなかった。つまり、資本主義は「自由を実体化すると同時に、自由そのものの表現でもある社会秩序」であるという認識が改めて強調されるようになったのである。
*ミルトン・フリードマン(村井章子訳)『資本主義と自由』、日経BP 社、2008(原著は1962 年に出)。なお、M.フリードマンは分配の不平等について次のように述べている。「資本主義社会の方が他の体制の社会よりも所得や富の分配の不平等が少ないということだ。資本主義が発展した社会ほど不平等は少ない。…過去と比較しても、資本主義社会では経済の進歩により不平等が大幅に減ってきたことがわかる。」(M.フリードマン、前掲書、pp306-307)
4)「資本主義の将来」
これまで偉大な経済学者達は誰も資本主義に穏やかな未来を予想していない。ピケティも然りである。いずれも資本主義を、「歴史的方向性をもった社会秩序」であり、個人相互の競争によって駆り立てられる私利追求の普遍的な衝動を活力源とする社会と捉えていた。
ただ資本主義が自らのゆるぎない力による働きのみで勝利を収めると考えた人物はいなかったのである。
また全員が「資本主義は自己破壊的である」と考えていたが、その理由は、つねに自ら変化し続けるという資本主義のダイナミズムそのものがシステム最大の敵であるという自己矛盾を内包しているという洞察であった。つまり、資本主義のマクロ秩序とミクロ秩序をうまく合理的に維持することが難しいという矛盾である。
もう一つが、富の偏在、不平等に象徴される倫理的正統性に対するうしろめたさであり、これまた資本主義が内包する構造的矛盾に他ならない。
このような問題を抱える資本主義の経済システムは、これまで考えられていた以上に強く政治秩序と結びつく可能性があることを示唆している。既述したように、良かれ悪しかれ「資本主義の政治化」の進行は避けられないのである。そして、ピケティの労作は、このような資本蓄積プロセスの構造的矛盾を長期的なデータで具体的に裏付けたところに大きな意義があるといえよう。
①アダム・スミス:すべての人の福祉が全般的に向上する「完全に自由な社会」を描いたが、社会が資源や地理的条件によって与えられている富の全量を蓄積してしまった時点で、成長も止まるstationary state(定常状態)を予想した。増加し続ける人口に対して生産の増加が止まり、その生産物を分け合わなければならなくなる時点で経済は下降に転じる。
さらに労働者階級の道徳的堕落が生じるとし、資本主義の最終的な運命についてはエコノミストの中でもいちばん悲観的であった。
②カール・マルクス:アダム・スミスのピン工場と異なり、繊維工場を生産の要として描いたマルクスの資本論は、生産拡大のプロセスは円滑で安定したものではなく激しい変動と混乱を伴うと予想した。また労働の不当価交換を前提にした資本蓄積の過程をprincipleof infinite accumulation(無限蓄積の原理)と捉えたが、対する労働者階級は「愚かで無知な」集団、既存秩序の受身の犠牲者ではなく、プロレタリアートとして自らの未来の自由を勝ちとる主体とならねばならないと考えた。こうしてマルクスは、社会主義の発展の前に資本主義が消滅するという、アダム・スミスとは正反対の未来を予想したのである。
③ジョン.M.ケインズ:資本主義の市場機能を重視したが、市場原理で動く社会には慢性的な失業が起こると考え、資本主義に悲観的なシナリオを描いていた。ケインズの技術的可能性に対する静態的な見方を反映している。ただ資本主義の政治的可能性に対して驚くほど楽観的な見方をしている。彼のヴィジョンには、労働者階級に対するスミスの絶望的な評価も、革命の可能性に対するマルクスの楽天的な評価もない。完全雇用を実現するための唯一の手段として「投資の社会化」を考えていた。資本主義は常に変化する社会秩序であり、資本と国家の関係は柔軟で対応力に富んでいる。ケインズのヴィジョンは均衡ある経済と均衡ある政治ということであり、自らを「穏健な保守主義者」だと述べている。
④ヨーゼフ・シュムペーター:「創造的破壊」による資本蓄積のダイナミズムと投資のフロンティアに注目し、競争によって古い資本が容赦なく破壊されるとするマルクスの考え方を否定している。しかし、「資本主義は生き延びることはできない」と、その将来を悲観した。 資本主義の文化が、さまざまな価値を腐食させると考えた。そして、資本主義的信念の核心が維持されるかどうかは、ほかの基本的な価値体系と同じく、究極的には理性的擁護論を超えたところで決まり、それは資本価値という非情な試練の前に萎えていくであ
ろう、と考えていた。
*因みに.ハイルブローナーは、利己心のみによる意思決定、富や地位にめぐまれた個人が一方的におこなう意思決定に代えて、中央からの指令でもなければ市場の競争圧力とインセンティブへの従属でもない方法による社会の統合の可能性について言及している。「討議と投票による広い共通の意思決定が行われる参加型社会」の構想である。私有財産制と市場機能による調整・統合に代って経済活動のすべての段階で、市民が討議と投票によって集団的意思決定に参加する。
また資本主義の経済的不平等に代って、社会的、経済的平等が社会規範として広く認められるようになる、というものである。ただ、この構想が現実的なものとなるためには、政治の分野に多くの解決すべき課題が残されている。(R.ハイルブローナー、前出)
参考文献
1・Thomas.Piketty, CAPITAL in the Twenty First Century, Belknap Harvard,2013.
2・R.ハイルブローナー(中村達也外訳)『二十一世紀の資本主義』ダイヤモンド社、1994。
3・M.フリードマン(村井章子訳)『資本主義と自由』日経BP 社、2008.
4・N・ファーガソン(櫻井祐子訳)『劣化国家』東洋経済新報社、2013。
5・大竹文雄『競争と公平感―市場経済の本当のメリット』(中公新書)、2010。
6・特集:日本で米国流格差を論じる愚「ピケティの罠」、中央公論、2015 年4 月号。