2015年09月23日

2015年9月  M.フリードマン「資本主義と自由」読書ノート(未定稿) - 松井幹雄

この本の初版は1962年に出版されたが有力新聞の書評欄に登場することはなかった。この時期のアメリカで、大きな政府を標榜する福祉国家論やケインズ主義の勝利は、アメリカの自由と繁栄を脅かすのではないかと危惧し当時の経済思潮に反旗を翻したのがM.フリードマンであった。孤立した少数派で学者仲間の大半から異端視されたが、時代は動きその流れは速まっていく。専門書ではなく一般向けに執筆された本書は、やがてベストセラーとなりM.フリードマンは1976年にノーベル経済学賞を受賞している。そして、その時から40年の歳月が流れた今日も『資本主義と自由』は、その新鮮さを失わない。『選択の自由』(1980)と共に彼の代表作である。

1・自由人にとっての「国家」
国家とは個人の集合体に過ぎない。一つの、実体あるいは生命体と見立てるのは間違いであり、擬制である。政府とは一つの道具・手段であり、それ以下でも以上でもない。国家目標も一人一人の目標の集合体としてしか認められない。
*これは、企業は「契約の束」というアメリカ経営学の法人擬制説と類似の見方であり、アメリカの個人主義と集団・組織に関する伝統的な見方、自由主義の文化を継承している。因みに、人類学者のE.トッドは「近代性によって土地から離脱させられた農民層の家族制度は、きわめて多様な価値観を担っていたが、自由主義的もしくは権威主義的、平等主義的もしくは不平等主義的なそれらの価値は、近代化期のイデオロギーによって建築材料として再利用された。・・・アングロ・サクソン的自由主義は、イングランドの家族における親子関係の特徴である相互の独立性という理想と、兄弟関係における平等主義的基準の不在とを、政治領域に投影したものである」と述べている。E.トッド『帝国以後』p80

2・政治的自由と経済的自由
経済的自由は、広義の自由の一構成要素であるが、それ自体が一つの目的になる。さらに経済的自由は政治的自由を実現するために欠かせない手段である。政治的自由と経済的自由は不可分であり、この両者を切り離して論じることはできない。18世紀後半から19世紀初めにかけて自由主義の名のもとに展開された運動は、社会における自由を究極の目標に掲げ、社会の主体は個人であると主張した。経済に関しては、国内では自由放任を支持し、経済への国の関与を減らして個人の役割を拡大しようとした。国外では自由貿易を支持し、世界の国々を武力のよらず民主的に結びつけようとした。また政治に関しては、代議制と議会制度の確立、国家の裁量権の縮小、市民権の保護を訴えた。(29)後述するようにM.フリードマンの説く新自由主義の経済学は、この初期の自由主義への回帰、原点復帰への強い志向を読みとることができる。
M.フリードマンは、「歴史を振り返ると、政治的自由と自由市場の関係は一つしかないことがわかる。いつの時代のどの国でも、政治的自由が大幅に保障されながら、経済活動の大半を展開する場として自由市場にあたる者が用意されなかった例は存在しない。人類は長きにわたり圧政、隷属、困窮の中で生きてきた。19世紀から20世紀初めにかけて西欧は、歴史の流れの中で顕著な例外といえる。このときに自由市場が登場し、また資本主義的な制度が発達し、それと共に政治的自由が登場した」と述べている。(40-41)
*どんな政治体制であっても経済体制は自由に選べる、政治と経済は別物であるという見方がある。現在の中国は、「社会主義市場経済」、つまり政治的には社会主義(実際には中国共産党による一党独裁体制)、経済的には市場経済という建前に立っている。「計画経済を主とし、市場調節を補とする」のが社会主義経済の常識であった。しかし、ソ連社会主義経済体制崩壊の経験を踏まえて、社会主義市場経済においては、私営企業と商品経済の発展、その市場調節機能が中心となり、それを裏付ける近代的工業の発達が図られ、従来資本主義的と見なされていた不動産の売買、株式会社制度や企業経営の自由が保障されるようになった。しかし、この建前が今後どのような意義を持つかについてM.フリードマンは否定的である。
政治的自由と経済的自由とは論理的にどうつながっているのか。M.フリードマンは「歴史的証拠があるというだけでは十分な論拠とはいえない」と述べている。(44)しかし、政治的自由の論理と経済的自由の論理は、異質の目標(経済が資源の最適利用、効率である荷に対し、政治が正義、公正、平等)を対象にしており、「相互作用」、「相互依存」という関係性の論理以上ものを想定するのは間違っているというべきではなかろうか。
*M.フリードマンは、2002年の改訂版の前書きで次のように述べている。返還前の香港が私に一つの教訓を与えてくれた。経済的自由は政治的自由と市民の自由を実現する必要条件だが、政治的自由は、経済的自由や市民の自由の必要条件ではない。政治的自由は、状況によっては経済や市民の自由を促すが、状況によっては拒むこともある。このように考えると、本書では政治的自由が果たす役割の扱いが不十分だった。(9)

3・自由主義と平等主義
各自が自分の考えに従って、その能力や機会最大限に生かす自由を尊重し、このとき、他人が同じことをする自由を阻害しないことだけを条件とする。このことはある点で平等を、ある点では不平等を支持することを意味する。(352)自由主義者は、権利の平等・機会の平等と物質的平等・結果の平等との間に厳然たる一線を引く。自由な社会が他の社会より物質的な平等をもたらすのはよろこばしいことではあるが、それは、自由社会の副産物であって、自由主義を正当化するものではない。しかし、平等主義者が、「誰かから取り上げて別の誰かにあげる」ことを認めるのは、目標を達成するための効率的手段からではなく、「正義」からなのだ。この点に立ち至った時、平等は自由は平等と真っ向から対立する。ここでは平等か自由かのどちらかしか選べない。つまり、平等主義者であると同時に自由主義者であることはできない。(353)
*M.フリードマンは所得の再配分を目的とする累進課税に反対する。(314)このような税は強権でもってAから引きはがしBにあたえるというあからさまな例であり、個人の自由に真っ向から反する。また現在の所得配分政策が効果をあげていないばかりか、むしろ不平等を助長している可能性がある。(311)対案は、基礎控除を上回る所得に対する一律税率の適用である。さらに法人税は打ち切る。企業の所得は株主のものであり、株主は其れを納税申告に含めなければならない。(314)
フリードマンは、所得分配を変えるには、税金ではなく不平等を生む原因となっている「市場の不完全性」、つまり独占、関税、特定集団に有利な法的措置など取り除くことである、と述べている。(317)また教育受ける機会の拡大は、不平等を減らすうえで大きな効果がある。

4・自由社会における政府の役割
市場の役割は、個人の多様性を認め、強制によらず合意を導く役割を果たすことである。これに対し公に政治的手続きを通じて何かを行う場合、合意形成に時間がかかり、少数意見を多数意見に従わせざるを得ない。殆どの問題についてイエスかノーをはっきりせねばならず、それ以外の選択肢は、あっても限られている。さらに政治の場で下される結論は最終的に法律の形にされ、あらゆる集団に一律に適用されるのである。(66)
市場と対比した政府の役割は、市場にできない機能、即ちルールを定め、守らせ、係争があれば仲裁する役割を引き受ける。また市場でできなくはないが主に技術上の理由から市場ではうまく行かないこと、そして市場の不完全性、外部効果が存在する場合である。列記すると以下のようになる。M.フリードマンは、現在アメリカで連邦政府や州政府が行っている事業、あるいは先進各国の政府が手掛けている事業の多くはやめるべきである。政府が介入するのは、当事者に代って別の誰かが決断することを是認しているからだが、自由主義者にとってこれは受け入れ難い考え方である。
法と秩序を維持する、財産権を明確に定める、財産権を含む経済のルールを修正できるようにする、ルールの解釈をめぐる紛争を解決する、契約が確実に履行される環境を整える、競争を促す、通貨制度の枠組みを用意する、技術独占に歯止めをかける、政府の介入が妥当と広く認められるほど重大な外部効果に対処する、狂人や子供など責任能力のない者を慈善事業や家族に代って保護する。(83-85)

ただ自由は、責任ある個人だけが要求できるものであるが、そこにはどこで線引きするかということを含めて本質的な曖昧さが潜んでいることに留意すべきである。「企業の自由」という時の「自由」は、アメリカでは、だれでも自由に企業を起こせる自由と了解されてきた。そして既存企業は、同じ値段で良い品を売るか同じ品を安く売る以外の手段で新規参入を締め出す自由はないものとされている。これに対してヨーロッパでは昔から、企業にはやりたいことをする自由があると考えられてきた。その自由の中には、協定を結んで値段やテリトリーを取り決めるなど、新たな競争相手を締め出す講じることも含まれたのである。(71-72)

法と秩序を維持する、財産権を明確に定める、財産権を含む経済のルールを修正できるようにする、ルールの解釈をめぐる紛争を解決する、契約が確実に履行される環境を整える、競争を促す、通貨制度の枠組みを用意する、技術独占に歯止めをかける、政府の介入が妥当と広く認められるほど重大な外部効果に対処する、狂人や子供など責任能力のない者を慈善事業や家族に代って保護する。

5・所得分配―平等とは何か
M.フリードマンは、市場経済における所得分配の原則は「各人へは、それぞれが所有する手段を使って生産したものに応じて行われる」ことだとし、これこそが「本当の意味で結果の平等」だと述べている。例えば、同程度の能力と手段を持ち合わせているが、一人は怠けるのが大好き、もう一人は商売熱心だとすると、この二人を平等に扱うためには市場を通じた稼ぎを不平等にしなければならない。また面白くやりがいのある仕事より辛い汚れ仕事に高い報酬を支払う必要がある。所得の差が職業や仕事の中味の差を埋め合わせていることになる。
つまり、各人を平等に扱うとは、人々の好みを満足させることだともいえる。ただ別の不平等がある。くじを買う人々の所得を事後的に再分配するのは、運試しというくじを買う行為そのものを否定することになる。職業選択やリスクの高い事業を選ぶといった行為は不確実性に対する各人の好みを反映するが、その行為が所得の不平等の原因となっている。もう一つが、生まれつき持っている不平等、つまり能力や相続財産に起因する不平等である。しかし、両親から素晴らしい美声を授かって巨万の富を稼いだり、両親から相続した財産で高収入を得るのは不当だといえる根拠はどこにもない。子供に資産を残してやりたいと思う金持ちの親にはいくつかの方法がある。資産を教育費に投じて公認会計士の資格を取らせる、あるいは事業を起こして後を継がせる、さらには信託基金を設定し利息や運用益が入るようにする。いずれの場合も収入が増えるだろうが、第一の方法は本人の能力による収入、第二が本人の働きによる利益と見なされるのに対し、第三の方法は相続財産による収入と見なされる。しかし、この三つを区別するまともな根拠は存在しないのである。自分の能力や才能で生み出した富は好きにしてよいし、自分で築き上げた富が生む利益も好き勝手にしてよいが、富を子供に譲るのは認められないというのは、つじつまが合わない。M.フリードマンは、「生産に応じた分配、その結果としての不平等の容認といった資本主義の原則に対して現在なされている反論には根拠がない」と述べている。

6・政府介入の現実と自由市場の意味
ソ連経済崩壊の30年前、本書が出版された当時は、「資本主義には欠陥がある。資本主義は人を幸福にしない。ひいては自由を妨げる。だから将来は、政治がもっと積極的に経済をコントロールすることに希望を託すしかない」という1920,30年代の圧倒的多数の知識人が抱いて考え方が根強く残っていた。政府の介入を有難がり、悪いことは全て市場のせいにする。そして新たな政府事業が提案されると、「私利私欲にとらわれず特別利益団体の圧力にも負けない有能な人間によって運営される」ことを疑う人は少なかったのである。小さな政府と自由企業の支持者は守勢に立たされていたのである。
しかし、数十年に及ぶ政府介入の実績が分析対象として取り上げることが可能になったところで、M.フリードマンはその政府介入、改革の評価を試みている。「ここ数十年間に政府が乗り出した新規事業の大半は、ことごとく失敗に終わっている。なるほどアメリカは進歩を続けてきた。衣食住は改善され、交通も便利になった。階級や社会的な格差は減ってきたし、少数民族が不利な扱いを受けることも少なくなってきた。また大衆文化が爆発的発展を遂げた。しかしこれらは全て、自由市場を通じて展開された個人の創意工夫や意欲の果実であって、政府の施策は少しも貢献しておらず、ただ邪魔しただけである。その邪魔をのり越えられたのは、市場には新しいものを生みだす途方もない力が備わっているからだ。見えざる手が進歩をもたらす力は、見える手が退歩をもたらす力に勝ったのである。
どれもこれも、当初の意図とは全然違う結果、それも大体は正反対の結果を招いているという結論を導き出したのである。(362)
彼は述べている。「政府の施策が持つ重大な欠陥は、公共の利益と称するものを追求するために、市民の直接的な利益反するような行動を各人に強いることだ。・・・人類が持っている最も強力で創造的な力の一つ、すなわち何百何千万の人々が自己の利益を追求する力、自己の価値観にしたがって生きようとする力の反撃に遭うのである。政府の施策がこうもたびたび正反対の結果を招く最大の原因は、ここにある。この力こそは自由社会が持つ大きな強みの一つであり、政府がいくら規制をしようとしても決して抑えることはできない。」(363)
*R.ハイルブローナーは、この政府の欠陥について、市場の持つ「ミクロの秩序」の欠落が原因であると述べ、」「経済活動の官僚化」という視点から解説を加えている。(R。ハイルブローナー、『二十一世紀の資本主義』ダイヤモンド社、第4章)

M.フリードマンが、過去数十年に実施された大改革の失敗例として挙げた事案は以下の通りである。
1)鉄道の規制・・・消費者を守るはずだったこの規制は、あっという間にトラックなど新たな参入者から鉄道を守る規制にすり替わってしまった。犠牲になったのは消費者である。
2)所得税…当初は税率も低かったこの税金は、のちに低所得層のために所得を再分配する手段として使われるようになった。この税金は一皮めくれば抜け穴や特別控除だらけであり、名目上は高い累進性もほとんど実効性をもたなくなっている。23・5%の一律課税を導入すれば、20-29%の累進課税になっている現行制度と同じだけの税収を確保できるはずである。また不平等をなくし富の分散を図るはずだった法人所得税は、実際には企業収益の再投資を促し、大企業の一層の発展を助け、資本市場の機能を妨げ、新規企業の設立を阻んでいる。
3)金融制度改革。経済活動と物価の安定をめざしたこの改革は、第一次大戦中と戦後のインフレを悪化させ、その後の経済情勢をかつてないほどまでに混乱させた。この改革で制定された連邦準備制度こそ、大幅な景気収縮程度で済んでいたはずものを1929-33年の悲劇的な大恐慌に変えた元凶である。銀行恐慌を防ぐための制度だったが、結果的にアメリカ史上最悪の銀行恐慌を招いた。
4)農業プログラム。貧しい農家を助け、農業につきものとされる変動制を解決するためのプログラムだったが、いまや国の恥というしかないものに成り下がっている。公的資金を垂れ流し、資源の活用に歪みを生じさせ、農家に対する締め付けは一段と厳しく、かつ微に入り細にわたるようになった。さらに外交政策にまで重大な影響を及ぼし、しかも肝心の貧しい農家は一向に救われていない。
5)公営住宅プログラム。貧困層の住宅事情を改善し、若年犯罪を減らし、スラム街の撤去をめざした事業だが、実際には貧困層の住宅事情を悪化させ、若年犯罪の増加を招き、都市の病巣を拡大しただけだった。
6)労働組合。1930年代は知識層にとって「労働者」と「労働組合」は同義語であり、清く正しい組合を恰も家族のように信頼した。そして組合を優遇し「公正な労使関係」を促進するための法律が広く施行され、組合は次第に強力な組織なっていった。すると50年代になる頃には、組合はもはや忌み嫌われる存在に堕してしまう。労働組合はもはや労働者と同義語ではなく、正義の味方だと考える人もいなくなった。
7)社会保障政策。一連の政策は困窮した人々への直接的な救済措置を不要にする目的で立案され、援助を受けることは権利と位置づけられた。そしていまでは数百万の人々が社会保障給付を受け取っている。だが生活保護の受給者は増える一方だし、救済措置拡大の一途をたどっている、(359-361)

7・おわりに
M.フリードマンの自由主義の原点回帰、新自由主義の主張は、発表されてから50年以上の年月が経つ現在も新鮮さを失わない。しかし、彼の立論が、個人の自由を最大限に尊重し、他の価値、例えば平等、規律と権威を「自由主義の副産物」と見立てる、アメリカ自由主義の伝統と文化を受け継いでいることを見逃してはならない。この点で、自由と平等を対置させるフランス自由主義、自由の価値を認めながらも権威主義と規律を重視するドイツなど、ヨーロッパの伝統と文化の多様性に留意しなければならない。近代化以前の封建時代に農民の家族制度の中に、後に「自由」という名称で表現されるようになる人間関係と価値観がどのように根付き文化を形成していたのか。この伝統を引き継いで近代社会に登場する自由の思想も社会の構成原理として多様化せざるを得なかったのである。
さらにいえば、M.フリードマンの「市場原理主義」ともいわれる自由と資本主義に対する絶対的信頼は、アメリカの近代化過程において、ヨーロッパと異なり民主主義が産業化に先行して確立したという歴史的条件を抜きにしては語れない。人々は経済の領域においても不公正であることを許容しなかった。経済民主主義である。またアメリカでは建国以来、マルクス主義の影響がほとんどなかったために大企業に対する反感がなかった。しかし、ヨーロッパではマルクス主義という共通の敵と戦うために自由主義と大企業は連携せざるを得なかったのであり、資本主義の修正を余儀なくされたのである。
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2015年07月21日

2015年7月  T・ピケティの「21世紀の資本」を読む - 松井幹雄

1・T.ピケティの『21 世紀の資本』
1)はじめに
最初に、トマ・ピケティの略歴を紹介する。
1971 年パリ郊外の裕福な家庭に生まれる。名門パリ高等師範学校(ENS)を経て、1993年に22 歳で国立社会科学高等研究院(EHESS)とロンドンスクール・オブ・エコノミクス(LES)から経済学博士号を取得。論文のテーマは富の再分配で、この当時から今日まで格差問題に取り組む姿勢は一貫している。
この後すぐに、マサチューセッツ工科大学(MIT)の准教授に採用された。しかし、米国の経済学が数学を駆使して「科学っぽく見せる」ことに頼り、数式になじまない「複雑な現実から目を背けている」とし、2 年でMITを辞めフランスに戻る。2000 年からEHESS教授、2007 年からパリ経済学校(EEP)の教授を務めている。なお政治的にはフランス社会党に近い立場をとっている。
この本の主題は、21 世紀の資本主義社会における富と所得分配である。20 世紀末から21世紀はじめにかけて顕著になってきた、資産家に富が集中するという分配の不平等化がさらに進めば市場経済は一体どうなるのか。先進国経済が成熟化に向かい低成長時代が予想されるなかで格差は拡大し続け、19 世紀のatrimonia1 capitalism(世襲資本主義)時代の再来となるのだろうか、と核心の問題に迫っている。convergence(収束)とdivergence(分岐)を繰り返す資本蓄積過程のダイナミズムとその不安定性、さらには富と所得分配
の不平等の拡大など、近年経済学が疎かにしてきた基本的な問題に対し、ピケティは演繹的なeconomic determinism(経済的決定論)と異なる仕方でアプローチする。
彼は次のように述べている。「この本を書き進めるなかで、理論、抽象的なモデルや概念に訴えようとした時もあったができるだけそれは控えた。理論の適用は観察している諸変化をよりよく理解できる場合に限定した。例えば、所得、資本、経済成長率、そして資本収益率などはいずれも抽象的な概念であり、数学的な確実性というより理論的な構築物である。これらの概念によって歴史的な事実を面白く分析できることは確かだが、これらの概念に対応する事象をどの程度正確に測定できているのか、その精度と限界を念頭におかな
ければならない。」
*Thomas.Piketty, CAPITAL in the Twenty First Century, Belknap Harvard,2013、PP33。彼は先人たちのように経済的決定論の視点から、「資本主義」そのものを俎上に乗せるのではなく、もっと幅広く政治的、社会的、文化的に歴史的データに即しながら、「市場経済」における「資本の機能、ダイナミズム」を実証的、具体的に考察したのである。ピケティの関心からすれば、「資本主義とは何か」或いは「資本主義と国家」などと先験的に抽象的理論を構築することに興味はなかったのである。この本は21 世紀の「資本論」であるという一部にある指摘の背景である。因みにカール・マルクスの資本論は1867 年に第一部が出版されている。
つまり、過去200 年余に及ぶ約20 か国の徴税記録、所得申告書等をデータベース化して、富と所得の分配について詳細に比較分析し、経済、政治、哲学、社会的視点から多角的な考察を行ったのである。ただ、彼も断っているが、過去の記録には欠陥が多く不完全なために、導き出した結果についてもさらなる考察の余地を残していることに留意すべきであろう。この本は、経済の書であると同じ程度に歴史の書である。
*経済発展と所得分配については、これまで1950 年代に提示されたノーベル賞経済学者サイモン・クズネッツの「クズネッツ仮説」が通説となっていた。工業化の初期段階では所得は不平等化するが、経済発展とともに所得分配は次第に平等化するというもので、平等化は経済発展の内在的論理であると理解されてきたのである。クズネッツも徴税記録を使って資産所得と労働所得の考察をおこなっており、ピケティの手法と基本的に同じである。ただクズネッツは、データの範囲が20 世紀前半に限定されていたため、200 年の長期期間を対象にしたピケティの結論とは全く異なる結論に到達した。クズネッツが対象とした期間は、2回の世界大戦によって物的資本が破壊され、インフレによって金融資産が減価し、さらには国有化で民間資本が減少するなど様々な理由で蓄積資本が減少したのである。ともあれ、クズネッツ仮説は、逆U 字型の「Kuznetscurve)」として広く浸透し、資本主義の将来に明るい展望を与えたことは確かである。
ピケティは、この仮説は冷戦時代の産物だったとも評している。
2)r>gの不等式と市場経済の論理的な矛盾
ピケティは、まず民間資本の総量とその資本が1年間に生み出す付加価値、つまり国民所得の関係、資本/所得比率の動向に注目する。つぎに資本収益率rと国民所得成長率gの関係について主要国の長期時系列データの詳細な比較分析をおこなっている。なお資本の量は、貯蓄率sを年間の所得成長率をgで除したもので、β=s/gと表示される、βは資本の総量、sは貯蓄率をしめし長期的に10%前後で安定していた。また国民所得に占める資本所得の比率α=r×βの動きもデータで考察し、αがほぼ20~30%の範囲で変動していることを確かめる。
ピケティは、20 世紀前半を除くと、資本/所得比率は6 倍から7 倍と一貫して高い値を示し資本蓄積が大きかったこと、さらに資本収益率が国民所得の成長率をつねに上回っていたことを明らかにする。この事実は、資本の所有者の所得が勤労者の所得よりつねに大きいこととほぼ同義である。そして、このrがgを上回るという不等式は、市場経済が内包するfundamental logical contradiction(基本的な論理的矛盾)であること、それがあくまで歴史的な事実であり経済理論に基づく演繹的な帰結ではないことを指摘する。理論的に
は、r=g、つまり資本の限界生産性が所得成長率と等しくなる時点で資本は過剰となるという想定が成り立つが、後述するように実際にはさまざまな政治的要因が関与し、r>gの不等式が成立していたのである。
次に、資本蓄積と所得分配のダイナミズムは、収束と分岐を交互に推し進める強力な市場経済のメカニズムである。この不安定で不平等な力はつねに強力であり、それを抑制する内発的なプロセス、力は存在しない。まず収束、つまり不平等の縮小と圧縮に向かうメカニズムとそれを動かす力は、市場の需給法則や、資本と労働の移動によってよりも、はるかに知識の伝播とそのための訓練・技能に対する投資によってもたらされた。そしてこの結果生じた知識の普及・拡散こそが、不平等の縮小のみならず生産性上昇のカギとなったのである。
そして分岐は、この収束に向かうメカニズムを圧倒して不平等を拡大する強力な力である。しかも技能等の教育投資が十分でかつ市場の効率性が発揮されているなど知識普及の条件が整っていても、その勢いが衰えないという厄介なものである。さらに、この分岐の力は、その資本量が大きいほど収益力を高めるさまざまな工夫が可能でありその効果が大きくなる。
第二に、富の分配の歴史はつねに時の政治と深く係っており、経済的メカニズムのみに帰することはできない。既述したように1910 年代から1950 年代にかけて殆どの先進国に生じた不平等の縮小は、二回の大戦それ自体の影響、つまり蓄積された富の破壊と戦争のショックに対処しようという政策の結果であった。そして1980 年代以降に再び不平等が拡大したのは、主としてこの数十年間のアメリカ、イギリス等アングロサクソン系国家が主導した新自由主義の経済政策、即ち経済再生のための課税および財政政策の変化に依存している。この背景には、第二次大戦の敗戦国であったドイツ、日本が驚異的な経済復興を遂げ、圧倒的な経済力を誇示したアメリカを脅かす存在にまで到達したこと、さらにパックス・アメリカーナの覇権維持のための巨額な財政支出が負担となりはじめたことなど、アメリカ固有の事情が関連していた。
資産家の中味も変わった。第一次大戦までは、地代、配当収入等保有資産からの収益に依存していたが、1980 年代以降は労働報酬に依存するエリート経営者層、super managers(スーパーマネジャー)の比率が高まっていく。特にアメリカでこの傾向が明瞭である。ともあれ所得分配の不平等の歴史は、時々の経済的、社会的そして政治的当事者たちの社会正義に対する観念によって、さらには彼等の政治力とその選択の結果によって形成されてきたのであり、いわば当事者たちの合作だったのである。
*この時期のアメリカ経済学の主流は、ケインズ経済学に対抗し政府規制の廃止と福祉政策を批判した新自由主義の経済学であった。ここでその代表的存在であるM.フリードマンの所得分配論を確かめておこう。彼は、市場経済における所得分配の原則は「各人へは、それぞれが所有する手段を使って生産したものに応じて行われる」ことだとし、これこそが「本当の意味で結果の平等」だと述べている。例えば、同程度の能力と手段を持ち合わせているが、一人は怠けるのが大好き、もう一人は商売熱心だとすると、この二人を平等に扱うためには市場を通じた稼ぎを不平等にしなければならない。また面白くやりがいのある仕事より辛い汚れ仕事に高い報酬を支払う必要がある。所得の差が職業や仕事の中味の差を埋め合わせていることになる。
つまり、各人を平等に扱うとは、人々の好みを満足させることだともいえる。ただ別の不平等がある。くじを買う人々の所得を事後的に再分配するのは、運試しというくじを買う行為そのものを否定することになる。職業選択やリスクの高い事業を選ぶといった行為は不確実性に対する各人の好みを反映するが、その行為が所得の不平等の原因となっている。もう一つが、生まれつき持っている不平等、つまり能力や相続財産に起因する不平等である。しかし、両親から素晴らしい美声を授かって巨万の富を稼いだり、両親から相続した財産で高収入を得るのは不当だといえる根拠はどこにもない。子供に資産を残してやりたいと思う金持ちの親にはいくつかの方法がある。資産を教育費に投じて公認会計士の資格を取らせる、あるいは事業を起こして後を継がせる、さらには信託基金を設定し利息や運用益が入るようにする。
いずれの場合も収入が増えるだろうが、第一の方法は本人の能力による収入、第二が本人の働きによる利益と見なされるのに対し、第三の方法は相続財産による収入と見なされる。しかし、この三つを区別するまともな根拠は存在しないのである。自分の能力や才能で生み出した富は好きにしてよいし、自分で築き上げた富が生む利益も好き勝手にしてよいが、富を子供に譲るのは認められないというのは、つじつまが合わない。フリードマンは、「生産に応じた分配、その結果としての不平等の容認といった資本主義の原則に対して現在なされている反論には根拠がない」と述べている。
なおこの「市場原理主義」ともいわれる市場経済に対する信頼は、アメリカの歴史的な環境を抜きにしては説明できない。第一に、アメリカではヨーロッパと異なり民主主義が産業化に先行して確立した。そのために人々が経済政策においても不公正であることを許容しなかった。経済民主主義である。第二に、アメリカでは、マルクス主義の影響がほとんどなかったために大企業に対する反感がなかったことである。ヨーロッパではマルクス主義という共通の敵と戦うために市場主義と財界主導(大企業主義)は団結せざるを得なかったのであり、市場主義の修正を余儀なくされたのである。詳しくは、M.フリードマン(村井章子訳)『資本主義と自由』日経BP 社、2008、pp294-301 を参照のこと。
ピケティは、1910-2010 年代のアメリカと、1870-2010 年代の英、仏、独3か国について、それぞれ国民所得に占める上位10%の所得者のシェア(アメリカ)、資本/所得比率の推移(英仏独3 か国)を示すグラフを考察し、所得分配が「U 字型カーブ」を描いているという結論を導き出している。アメリカは1920 年代から70 年代に上位10%のシェアは35%台に低下した後、1980 年代から2010 年にかけて再び19 世紀から1910 年代の45-50%台に盛り返した。またヨーロッパ3 か国の資本/所得比率も、1910-1970 年代に200-300%台に低下した後、1980 年代から増大しはじめ戦前の水準に迫っている。
ピケティは、最近30 年の動きは、これらの国々が、戦禍と、そこからの復興をめざす高成長期を経て再び19 世紀から20 世紀初めの時期を特徴づける低成長の時代に移行したためであるとしている。低成長経済の下では、毎年の所得から蓄積に回る所得(貯蓄)は限られているため、過去に蓄積された富が相対的に重要になる。つまり資本収益率が高ければ、つまりr>gという不等式が成り立つとき、分配の不平等はさらに大きくなるのである。
*T.ピケティ、前出、pp22-27。
3)ピケティの結論
『21 世紀の資本』からいくつかピケティの主張をまとめてみよう。
第一に、私有財産制に基礎をおく市場経済は、所得の不平等化を促す強い力を内包している。ピケティは、これを「市場経済の基本的な論理的矛盾」だというが、所得分配の不平等は1980 年代からふたたび拡大しはじめ、グローバル化する経済の中でその速度を速めている。しかも長期データベースから推定される平均資本収益率4-5%、国民所得の増加率1-1・5%という変動パターンが21 世紀も継続されるものと予想される。低成長、そしてr>gの関係によって、世界的規模における不平等の拡大が続きやがて、例えば19 世紀から20 世紀初めに見られた世襲資本主義の時代が訪れるだろう。そして政治的な壁に突き当たることになろうが、いくつかシナリオがあり一方向と決まっているわけではない。
*因みにマルクスは、資本論の中で資本の「無限蓄積の原理」を唱えている。資本家による剰余価値の追求、労働者搾取の過程が無限に続くと考え、労働者階級が団結し資本家に立ち向かうべきだとする階級闘争論を展開したのである。
ただ実際の歴史的経過は、労働者が彼が予想したような絶対的窮乏の状況に陥ったのではなく、それなりに物質的豊かさの恩恵を受けた。マルクスの立論には、生産性の上昇という視点が欠落していたのである。
第二に、その対策として有効なのが、世界各国の緊密な協調の下で資産所得に対する累進的な課税である。この累進的資産課税によって、際限のない不平等の拡大を回避すると共に、市場競争を維持し資本蓄積のインセンティブを堅持することが可能になる。しかも資産に対する累進課税は、代替的手段、すなわちインフレや緊縮経済に比べて公正であり効率的である。ただ実現のためには国民の資産保有の状況を確認するデータの完備が不可欠である。
ピケティは、市場経済におけるミクロの秩序、つまり個人を動かしてその当人が意識的に追求してはいない社会目標達成に導く「見えざる手」を重視しそれに拘っているところがある。この市場経済のパラドックスは、「自分の富の増大」だけを求める個人の集合が秩序をつくるのではなく、そうした集合の中でなければ市場は機能しないというところが核心なのである。
* 旧ソ連の計画経済が混乱し機能しなかったのは、「私的利益追求が社会的に有用な行動を導くようなミクロの秩序」が欠落していたためである。計画担当の官僚機構はもちろんだが、その計画を実行する現場にも「何か手を打とうという強力なインセンティブ」が欠けていた。官僚たちの利己心は何かをするよりも何もしないほうがいいと教えたのである。経済活動の官僚化である。計画経済の失敗は歴史の偉大な教訓である。(R.ハイルブローナー(中村達也他訳『二十一世紀の資本主義』ダイヤモンド社、1994、pp77-82))
次に、1917 年から1989 年まで続いた資本主義と共産主義の二極対立が、所得分配の不平等に関する調査研究を不毛にしてきたが、いまやその拘束が外れたのである。具体的な価格、賃金、所得、資産の動き、そして変化が社会的正義の観念や政治的意識にどう影響するのか、さらにその結果として生まれる政治制度、秩序、政策が最後には社会と政治の変化をもたらす。
このような経済、政治、社会、文化の多領域から賃金と富の問題に接近することは可能であり、かつ不可欠である。専門分野ごとに分業することの意義は大きいが、社会科学の分野では問題に接近する方法は無数にあり、蓄積されたデータが常に想像力を掻き立てるものである。全ての社会科学者、ジャーナリスト、労働組合活動家、政治家、そして市民は、貨幣とその量、貨幣をめぐる事実と歴史について真摯に関心を持つべきである。
経済学は、歴史学、社会学、人類学、そして政治学と共に社会科学の一専門分野であるが、他分野に比べて経済学がより「科学的」で特別の地位を占めるとする主張する根拠は何もない。敢えていえば「political economy」であり、political(政治的)、normative(規範的)、さらにmoral(道徳的)な目的を併せもつ点で他の社会科学とは異なる。
例えばどんな経済政策、制度がより理想的な社会に近づくかと問う際に、経済学は自らの専門分野に閉じこもるのではなく、政治経済学として議論を広く展開し、さらに解決策の選択のためには、他分野の学者はもちろん一般市民も参加できる討論の場が設けられるべきである。
*1998 年にノーベル経済学賞を受賞したハーバード大学教授、アマルティア・センは、次のように指摘している。かつ
て啓蒙主義の時代に、ホッブスやカント等に導かれ展開された「先見的制度尊重主義」の伝統から離れること、例えば「何が完全に平等な制度か」が問題ではない。現実の状況の下で「どうすれば正義は促進されるか」という選択こそが答えるべき問題である。実現不可能な、超越されることのない完全な状態を特定化するよりも、実現可能ないくつかの選択肢から選択するために正義を比較する枠組みが必要になる。つまり正しい制度と規則と見なされるものの設定だけに関わるのではなく、実際の実現と達成に焦点を合わせる必要性こそが論点でなければならない。(アマルティア・セン(池本幸生訳)『正義の観念』明石書店、2011.pp41-43)
ピケティは、最後の章で累積する国家債務の問題に触れている。政府債務の増加、つまり歳入を超える歳出を賄うための国債発行は、貧しい人たちから、政府に貸す金(=国債の購入)のある資産家への「間接的な富の再分配」に他ならない。しかも債務返還の方法、すなわちインフレーションによる債務の減価、緊縮経済と課税強化の三つの策の中で、過去に多用されてきたはインフレを中心とした三つの組み合わせ対策だったが、インフレには逆進的な富の再分配機能が備わっている。
ピケティは、資産家に対する累進的な資産課税こそが公正で効率的な国家債務解消の手段であると述べている。さらにツケの償還方法もさることながら、莫大な負債の利息払や元本償還が長期化すれば、その間の教育をはじめ技術開発など将来のための必要な投資が切り詰められていく。そして、そのしわ寄せが全て次世代に掛ってくる。
ピケティの富の再配分論に対し、日本社会の所得分配は、外国、例えばアメリカに比べて相対的に平等ではないか、という意見が少なくない。しかし、日本は規制によって競争を制限し所得の不平等、格差の拡大を抑えてきたのであり、その代償として経済システムの新陳代謝や社会全体の所得拡大を犠牲にしていることを看過すべきでない。そのツケ、つまり景気対策や社会保障や高齢者医療のための財政支出の増加を国債に依存すれば、国家債務の膨張という形で次世代に負担を回していくことになる。世代間の格差拡大であり、問題の本質は基本的に変わらないというべきであろう。
*市場競争は、人々の間に発生する所得格差を解決するのではなく拡大する。それでも競争は、社会全体として見れば資源の効率的使用によって全体の所得を増大させ、市場経済は人々を豊かにする。豊かな人々から貧しい人々への所得再配分の余力が生まれ、貧しい人々の生活水準も引き上げることができる。つまり、市場で厳しく競争して、国全体が豊かになり、その豊かさを再配分政策で全員に分け与えることができる。
しかし、アメリカのシンクタンクのピュー研究所の調査によれば、「格差が拡大したとしても市場競争で人々はより良くなる」という意見に賛成する人の割合は、日本人では49%である。ところが、世界の多くの国ではこの比率が70%を超える。アメリカはもちろん中国やインドでは、市場経済に対する信頼があるからだ。また日本人は、所得再分配政策を国にも頼っていない。「自立できない非常に貧しい人たちの面倒をみるのは国の責任である」という考え方に賛成する人の比率は、多くの国で80%を超えるが、日本では59%と例外的に少ない。競争嫌いの日本社会は世界の中で極めてユニークな存在なのである。詳しくは、大竹文雄『競争と公平感―市場経済の本当のメリット』(中公新書)、2010、pp68-70。
ピケティから離れるが、政府債務の増大をdemocratic deficit(民主主義の赤字)であるとして、日本を含む西欧諸国が「衰退の危機」に立っていると警鐘を鳴らすのが、ハーバード大学の歴史学教授、二アール・ファーガソンである。彼は、経済が低成長に陥り格差が拡大するのは、国の「法と制度」が衰退し、エリートによるレントシーキングが、経済と政治のプロセスを支配するときだ、とも述べている。そして、その端的な兆候が西欧や日本など民主主義国に見られる国家債務の増大だとも指摘している。国家債務、つまり公表された債務と年金・社会保障分野における潜在的な債務の総額は、現役世代が、若者や未だ生まれぬ者たちにツケを回して暮らす手段と化し、民主主義国に蔓延しはじめているというのである。高齢化社会に向かう中で、民主主義政治の劣化が資本主義システムを不安定にするという深刻な問題が登場しているといえる。
*N.ファーガソン(櫻井祐子訳)『劣化国家』東洋経済新報社2013、pp181-182。2012 年度のイギリスBBC のリース・レクチャーをまとめ出版したものである。
2・21 世紀資本主義の基本概念
1)資本とは何か
この章では、R.ハイルブローナーの『二十一世紀の資本主義』を中心に既存文献に依拠しながら、経済学における資本主義の諸概念、論点について整理し、ピケティの大作をよりよく理解するための一助としたい。『二十一世紀の資本』では、経済学の理論、抽象的なモデルや概念の適用を意図的に抑制されている。しかし、ピケティの論旨を理解するためにはある程度の経済学的知識が不可欠なことも確かである。
*R.ハイルブローナー(中村達也外訳)『二十一世紀の資本主義』ダイヤモンド社、1994。
ピケティが定義する「資本」の概念には、機械などの物的資本だけでなく、住宅、土地、金融資産(現金、債券、株式など)、知的財産権などが含まれており「富」の概念に近い。これは、彼の立論が実存の統計・記録およびその推計値に基づいているという制約の然らしめるところである。実際に彼は、富、資産,資本をほとんど同義に用いている。また「資本主義」についても厳密な定義ではなく、「世襲資本主義」などといった柔軟な使い方をしている。
遡って富とは何か。単なる「美徳のオブジェ」ではなく「権威」、「力=購買力、指揮権」である。この富と資本は重なる部分はあるが同一物ではない。資本とは、富の物理的な属性ではなく、「さらに大きな資本を生みだすという利用法」に向けられた富であり、その価値は市場で評価される。つまり、「富の増殖手段としての機能」であり、マルクスが「貨幣の飽くなき自己増殖のプロセス」と呼んだものに近い。
資本の本質は、「富の蓄積への衝動と無限を求める素朴な幻想に発する無意識の動機」と、この動機を補強する「競争・闘争心」とが結びついたものである。経済学でいう「利己利益の追求」とか「効用の最大化」といった抽象的な概念が、富を資本たらしめる動機ではない。「富の蓄積への衝動」は、「帝国の際限ない拡大、王の神格化、崇拝」へと昔時の人々を駆り立てたのと同じ欲望である。軍事的栄光や個人的威光によって満たされる「無限を求める素朴な幻想」が、資本を駆り立てる衝動の本質である。ただし資本の蓄積は、社会
を常に変革し物質的福祉を向上させる一方で、富の偏在と不平等をつくりだす、という点で帝国の栄光と一線を画す。
*ケインズは、『雇用・利子および貨幣の一般理論』の中で、この「富の蓄積への衝動」をアニマルスピリットという言葉で表現している。一般的に経済活動は合理的動機に基づいて行われるが、必ずしも合理的に説明できな「不確定な心理」に駆られて行動する。これが事業家を事業家たらしめているもう一つの側面である。
2)「資本主義とは何か」
資本主義、つまり「物質的福祉向上をめざし社会の変容を推進するプロセスとしての資本蓄積が経済活動の主体となる社会秩序」の成立には以下の条件が必要であった。第一に「半自立的だった経済がこれを包み込む国家から自由になり、取引の網の目が社会生活のプロセスそのものになるまで拡大すること」、第二に「高貴さに欠け人格の陶冶を阻む(アリストテレス)と貶められてきた経済活動の評価が引き上げられ尊敬されるようになること」の二つである。資本主義が、ヨーロッパに自然発生したという歴史的事件は、ローマ帝国の滅亡と旧秩序の崩壊、それに続く約1千年の封建社会のなかで活躍した冒険商人達によって実現したのである。
「帝国の秩序」は、「資本主義の秩序」とあらゆる面で相容れなかった。この中間にあった中世の封建秩序は、臣下への封土と農奴制に生産力の基盤をもちながら地域的に分断され、それぞれが孤立し暮らしも細分化されていた。古代帝国の統一的な法、通貨、政府はなかったが、追剥の襲撃に備え武装した従者を連れた冒険商人が登場し、地域をつなぐ役割を担うようになった。交易活動が拡大し勢いをつけると、冒険商人は町の暮らしの中に溶け込んでいく。その子孫が中心になって「都市(バーグ)」をつくり、「市民(バーガー=ブ
ルジョワジー)」として、蓄えた経済力を背景に政治的な力を持つようになった。17 世紀末のイギリス名誉革命(1688-89)、そして18 世紀末のフランス革命(1789)を経て、彼等は旧勢力に代る「新勢力」として政治の支配者層に加わった。それと共に新しい経済と社会秩序がその輪郭を現したのである。
因みに「資本主義」という言葉が使われるようになったのは19 世紀後半のことで、イギリスの経済学者、A.トインビーが産業革命に関する講義の中で用いたとされている。
資本主義は、「つねに変化する社会秩序」であり、また富は不平等と分かち難く結びついていた。つまり、土地から切り離された資産のない個人は、恵まれた個人に自らの労働を提供し、その対価を得る以外に生きていく途はなかったのであり、不平等とは「生産手段の所有者と生産手段を用いて働く者との間の不平等な関係」に他ならなかった。「商品としての労働力の市場での自由な交換取引」という経済学の抽象的な表現は、その裏にあるこの取引の本質を覆い隠す役割を果たしていたのである。
3)「資本主義と国家」
資本の蓄積のプロセスは、その効果として物質的福祉の向上とともに不平等、格差をもたらし、経済だけでなく政治にも大きな影響を及ぼす。この資本主義が生みだす矛盾、政治的な影響に目を向けたのがカール・マルクスであり、彼の「剰余価値説」、さらには「階級闘争理論」であった。資本主義の政治的側面は、法的には社会秩序の支配原理として独立していながら、同時に「生涯連れ添う伴侶」のように経済と不可分な関係が成り立っている。この秩序は、契約や自由の概念の法制度的確立はもとより、物的社会資本や教育関連の社会資本の整備を必要としており、それらなくして円滑に機能することはできない。例えば「公共財」、「市場の失敗」、「公共事業」、「社会保障制度」と表現は様々だが、この両者、つまり経済と国家は、抽象的理論の世界から現実の世界に下りるとその境界は曖昧でありしばしば不可分である。
地球温暖化など環境問題が大きくクローズアップされている。さらに近年の国際金融分野など野放しの蓄積をめぐる国境を超えた資本の競争が格差や失業を増大させ、その脅威から経済を守る国家の役割が一段と重要になっている。
もう一つが、資本蓄積のプロセスが国際的規模に広がり、事業体が所在する国民国家を超越する多国籍企業の増加である。この問題が資本主義と国家の伝統的な関係に新しい問題を投げかけている。事業のグローバル化が進むと多国籍企業のネットワークは各国の監視や規制の力の及ばないものとなり、政府は世界経済の相互浸透とそこから生じる問題にますます対処することが難しくなっている。
遡って1930 年代の世界不況とその克服の過程で、国家と経済の関係は新たな段階に移行した。「経済が本来の活力を回復すること以外に、政府が経済的不安定の問題にできることはほとんどない」というそれまでの新古典派経済理論の「レッセ・フェール」の通念が根本的に変化したのである。つまり、この時期に国家は、「完全雇用の達成に努力する」という新たな役割を担うことになったが、もちろん経済が国家に屈したのではない。
ただ国家の役割が拡大したといっても、私的部門の活動を指導したり、況して奪ったりすることではなかったのである。この新たな国家の義務について、理論的な貢献をしたJ.M.ケインズ自身が、資本主義の信奉者であり「この国家機能の拡大をできるかぎり非政治的ものとして描こうとした」のである。ソ連の社会主義経済が瓦解し、資本主義と国家の役割についても新しい視点から注目されるようになった。
*「市場システムは、その分子を構成する無数の売り手と買い手の個々の出会いよりもはるかに大きく複雑である。市場システムは、全体を連結し調整する主要な手段ではあるが、資本主義のエネルギー源そのものではない、私的領域と公的領域とに権威を明白に二分するものではない。・・・ソ連経済はミクロの秩序の欠落のために崩壊したのである。市場のパラドックスは、『自分の富の増大』だけを求める個人の集合から秩序がつくられるということではなく、そうした私的利益を追求する自由な個人の集合の中でなければ市場は機能しないということである。」R.ハイルブローナー『二十一世紀の資本主義』、pp74-77。
20 世紀後半になると、福祉国家論が凋落し、ケインズ経済学に代ってM.フリードマンの新自由主義経済思想が登場する。そして近年に至り、「資本主義の経済秩序が、普通考えられているよりはるかに強く政治秩序と不可分に結びつき依存している」という認識が強まり、良かれ悪しかれ「資本主義秩序の政治化」が進行しているのである。
例えば「民主主義」と呼ぶ政治的制度は、これまで資本主義経済秩序の下でしか存在してこなかった。つまり、資本主義は「自由を実体化すると同時に、自由そのものの表現でもある社会秩序」であるという認識が改めて強調されるようになったのである。
*ミルトン・フリードマン(村井章子訳)『資本主義と自由』、日経BP 社、2008(原著は1962 年に出)。なお、M.フリードマンは分配の不平等について次のように述べている。「資本主義社会の方が他の体制の社会よりも所得や富の分配の不平等が少ないということだ。資本主義が発展した社会ほど不平等は少ない。…過去と比較しても、資本主義社会では経済の進歩により不平等が大幅に減ってきたことがわかる。」(M.フリードマン、前掲書、pp306-307)
4)「資本主義の将来」
これまで偉大な経済学者達は誰も資本主義に穏やかな未来を予想していない。ピケティも然りである。いずれも資本主義を、「歴史的方向性をもった社会秩序」であり、個人相互の競争によって駆り立てられる私利追求の普遍的な衝動を活力源とする社会と捉えていた。
ただ資本主義が自らのゆるぎない力による働きのみで勝利を収めると考えた人物はいなかったのである。
また全員が「資本主義は自己破壊的である」と考えていたが、その理由は、つねに自ら変化し続けるという資本主義のダイナミズムそのものがシステム最大の敵であるという自己矛盾を内包しているという洞察であった。つまり、資本主義のマクロ秩序とミクロ秩序をうまく合理的に維持することが難しいという矛盾である。
もう一つが、富の偏在、不平等に象徴される倫理的正統性に対するうしろめたさであり、これまた資本主義が内包する構造的矛盾に他ならない。
このような問題を抱える資本主義の経済システムは、これまで考えられていた以上に強く政治秩序と結びつく可能性があることを示唆している。既述したように、良かれ悪しかれ「資本主義の政治化」の進行は避けられないのである。そして、ピケティの労作は、このような資本蓄積プロセスの構造的矛盾を長期的なデータで具体的に裏付けたところに大きな意義があるといえよう。
①アダム・スミス:すべての人の福祉が全般的に向上する「完全に自由な社会」を描いたが、社会が資源や地理的条件によって与えられている富の全量を蓄積してしまった時点で、成長も止まるstationary state(定常状態)を予想した。増加し続ける人口に対して生産の増加が止まり、その生産物を分け合わなければならなくなる時点で経済は下降に転じる。
さらに労働者階級の道徳的堕落が生じるとし、資本主義の最終的な運命についてはエコノミストの中でもいちばん悲観的であった。
②カール・マルクス:アダム・スミスのピン工場と異なり、繊維工場を生産の要として描いたマルクスの資本論は、生産拡大のプロセスは円滑で安定したものではなく激しい変動と混乱を伴うと予想した。また労働の不当価交換を前提にした資本蓄積の過程をprincipleof infinite accumulation(無限蓄積の原理)と捉えたが、対する労働者階級は「愚かで無知な」集団、既存秩序の受身の犠牲者ではなく、プロレタリアートとして自らの未来の自由を勝ちとる主体とならねばならないと考えた。こうしてマルクスは、社会主義の発展の前に資本主義が消滅するという、アダム・スミスとは正反対の未来を予想したのである。
③ジョン.M.ケインズ:資本主義の市場機能を重視したが、市場原理で動く社会には慢性的な失業が起こると考え、資本主義に悲観的なシナリオを描いていた。ケインズの技術的可能性に対する静態的な見方を反映している。ただ資本主義の政治的可能性に対して驚くほど楽観的な見方をしている。彼のヴィジョンには、労働者階級に対するスミスの絶望的な評価も、革命の可能性に対するマルクスの楽天的な評価もない。完全雇用を実現するための唯一の手段として「投資の社会化」を考えていた。資本主義は常に変化する社会秩序であり、資本と国家の関係は柔軟で対応力に富んでいる。ケインズのヴィジョンは均衡ある経済と均衡ある政治ということであり、自らを「穏健な保守主義者」だと述べている。
④ヨーゼフ・シュムペーター:「創造的破壊」による資本蓄積のダイナミズムと投資のフロンティアに注目し、競争によって古い資本が容赦なく破壊されるとするマルクスの考え方を否定している。しかし、「資本主義は生き延びることはできない」と、その将来を悲観した。 資本主義の文化が、さまざまな価値を腐食させると考えた。そして、資本主義的信念の核心が維持されるかどうかは、ほかの基本的な価値体系と同じく、究極的には理性的擁護論を超えたところで決まり、それは資本価値という非情な試練の前に萎えていくであ
ろう、と考えていた。
*因みに.ハイルブローナーは、利己心のみによる意思決定、富や地位にめぐまれた個人が一方的におこなう意思決定に代えて、中央からの指令でもなければ市場の競争圧力とインセンティブへの従属でもない方法による社会の統合の可能性について言及している。「討議と投票による広い共通の意思決定が行われる参加型社会」の構想である。私有財産制と市場機能による調整・統合に代って経済活動のすべての段階で、市民が討議と投票によって集団的意思決定に参加する。
また資本主義の経済的不平等に代って、社会的、経済的平等が社会規範として広く認められるようになる、というものである。ただ、この構想が現実的なものとなるためには、政治の分野に多くの解決すべき課題が残されている。(R.ハイルブローナー、前出)
参考文献
1・Thomas.Piketty, CAPITAL in the Twenty First Century, Belknap Harvard,2013.
2・R.ハイルブローナー(中村達也外訳)『二十一世紀の資本主義』ダイヤモンド社、1994。
3・M.フリードマン(村井章子訳)『資本主義と自由』日経BP 社、2008.
4・N・ファーガソン(櫻井祐子訳)『劣化国家』東洋経済新報社、2013。
5・大竹文雄『競争と公平感―市場経済の本当のメリット』(中公新書)、2010。
6・特集:日本で米国流格差を論じる愚「ピケティの罠」、中央公論、2015 年4 月号。
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2015年05月27日

2015年5月  「21世紀の資本」と資本主義 - 松井幹雄

1・T.ピケティの『21世紀の資本』
この本の主題は、資本主義社会における富と所得分配の問題であり、20世紀末から21世紀はじめにかけて顕著になってきた限られた金持ちに、さらに富が集中するという分配の不平等化が進めば市場経済は一体どうなるのか、という課題に迫っている。今後、先進国経済の低成長が予想されるなかで、格差は拡大し続け、patrimonia1 capitalism(世襲資本主義)の時代となるのだろうか。資本主義の富と所得分配、収束と拡散を繰り返すダイナミックな資本蓄積の過程における資本と労働の不安定性など、近年経済学が疎かにしてきた最も基本的な問題に対し、T.ピケティは、これまでのeconomic determinism(経済的決定論主義)と訣別した異なるアプローチで迫っている。つまり過去200年余に及ぶ主要国の徴税記録、所得申告書等をデータベース化し、富と所得の分配について比較分析し、経済、政治、社会、文化的視点から多角的かつ具体的な考察を行っている。ただ、彼も断っているように、この本は、経済の書であると同じ程度に歴史の書である。さらに過去の記録には欠陥があり不完全なために、導き出した結果についてもさらなる考察の余地を残していることに留意すべきであろう。
*経済成長と所得分配については、1950年代に提示されたノーベル賞経済学者サイモン・クズネッツの「クズネッツ仮説」が定説となっていた。工業化の初期段階では所得は不平等化するが、経済発展とともに所得分配は次第に平等化するというもので、平等化は経済発展の内在的論理であると主張している。彼の徴税記録を使った資産所得と労働所得の考察は、ピケティの手法と基本的に同じである。ただS.クズネッツはデータの範囲が20世紀前半のみのため、200年の長期期間を対象にしたピケティの結論とは全く異なる結論に到達した。つまり、S.クズネッツが対象とした期間は、2回の大戦によって物的資本が破壊され、インフレによって金融資産が減価し、さらには国有化で民間資本が減少するなど様々な理由で蓄積資本が減少した時期であった。ともあれ、クズネッツの仮説は、「Kuznets curve)」として広く浸透し、資本主義の将来について明るい展望を与えたのである。T.ピケティは、この仮説は冷戦時代の産物だったと評している。

彼は、まず資本/所得比率βに関する長期データを考察し、次いで資本収益率rと経済成長率gについて主要国の長期時系列データの比較分析をおこなっている。その結果、20世紀前半の50-60年間を除くと、資本収益率が国民所得の成長率をつねに上回っていたこと、そしてβが一貫して大きい値を示し資本蓄積が高かったことを明らかにする。そして、このrがgを上回るという「不等式」は、市場経済の「根本的な構造的矛盾」(fundamentally structural contradiction)であること、それがあくまで歴史的な事実であり論理的な帰結ではないことを述べている。彼の考察の結果は以下のようになる。

第一に、富の分配の歴史はつねに時の政治と深く係っており、経済的メカニズムのみに帰することはできない。1910年代から1950年代にかけて殆どの先進国に生じた不平等の縮小は、戦争それ自体の影響と戦争のショックに対処しようという政策の結果であった。そして1980年代以降に再び不平等が拡大したのは、主としてこの数十年間の課税および財政政策の変化に依存している。不平等の歴史は、時々の経済的、社会的そして政治的当事者たちの正義に対する観念によって、さらには彼等の政治力とその選択の結果によって形成されたのであり、いわば当事者たちの合作であった。
第二に、富と所得分配のダイナミズムは、convergence(収束)とdivergence(拡散)を交互に推し進める強力なメカニズムであり、このことが本書の中心的な結論である。しかもこの不安定で不平等な力はつねに強力であり、それを抑制する内発的なプロセス、力は存在しない。まず収束、つまり不平等の縮小と圧縮に向かうメカニズムとそれを動かす力は、経済の需給法則や、資本と労働の移動によってよりも、はるかに知識の伝播とそのための訓練・技能に対する投資によってもたらされた。そしてこの結果生じた知識の普及こそが不平等の縮小のみならず生産性上昇のカギであった。
なお知識の伝播に関しては、rising human capital hypothesis(人的資本の向上仮説)、つまり時間の経過とともに労働者の技能が向上し、所得配分に占める労働の比率が上昇するとする説がある。技術的合理性追求が自動的に、金融資本、土地保有者に対し人的資本を優位に立たせるというのだが、T.ピケティはこの仮説は幻想に過ぎない、と述べている。
次にdivergence(拡散)は、この収束に向かうメカニズムを邪魔し、それを圧倒して不平等を拡大する強力な力である。しかも技能等の教育投資が十分でかつmarket efficiency(
市場の効率性)が発揮されているなど知識普及の条件が整っていても、その勢いが衰えないという厄介なものである。まずtop earners(トップの地位にある稼得者)は自らを他者と区別し、素早くたっぷりと利益を取得てきた。そしてもっと重要なのが、経済の成長力が弱く資本収益率が高い時期に富の蓄積と集中のプロセスにはたらく拡散の力であり、こちらの方が長期的な所得分配の平等化に対して大きな脅威となったのである。
*T.ピケティは、本文の中で、1910-2010年代のアメリカと、1870-2010年代の英、仏、独3か国について、それぞれ国民所得に占める上位10%の所得者のシェア(アメリカ)、資本/所得比率の推移(3か国)を示すグラフを考察し、所得分配が「U字型カーブ」を描く、という結果を導き出している。アメリカは1940年代から70年代に上位10%のシェアは35%台に低下した後、再び1910-1930年代の45-50%台に盛り返した。またヨーロッパ3か国の資本/所得比率は、1910-1970年代に200-300%台に低下した後、1980年代から増大しはじめ戦前の水準に迫っている。T.ピケティは、最近30年の動きは、これらの国々が、戦禍とその復興の時期を経て再び低成長の体制に移行したためであるとしている。低成長経済の下では、毎年の所得から蓄積に回る所得(貯蓄)は限られており、過去に蓄積された富が相対的に重要になるからである。資本収益率が高ければ、つまりr>gという不等式が成り立つとき、分配の不平等はさらに大きくなる。(英語版、pp22-27)

彼は、『21世紀の資本』を、次のような結論で締めくくっている。21世紀の資本主義をめぐる問題に向き合う経済学者として、教訓とも読める説得的な内容である。
ただ、彼は先人たちのように経済的決定論主義の視点から、「資本主義」そのものを俎上に乗せるのではなく、もっと幅広く政治的、社会的、文化的に歴史的データに沿いつつ「市場経済」における「資本の機能」を実証的、具体的に論じている。T.ピケティの関心からすれば、「資本主義とは何か」或いは「資本主義と国家」などと大上段に論じる理由は見当たらなかったのである。
*彼は、次のように述べている。「(この)著作が進行するなかで、理論、抽象的なモデルと概念に訴えようとした時もあったができるだけそれを控えた。理論の適用は観察している諸変化をよりよく理解できる場合に限られていた。例えば、所得、資本、経済成長率、そして資本収益率などは抽象的な概念であり―数学的な確実性というより理論的な構築物である。そしてこれらの概念によって歴史的な事実を興味ある方法で分析することができるが、それは   (PP33)」

1)私有財産制に基づく市場経済は、何らの対策を講じなければ収束に向かう力をもっている。この収束は知識、技能の伝播と強い相関がある。他方で市場経済秩序は、強い拡散の力を内包しており、この二面性が民主主義社会とその依って立つ社会的正義の価値を脅威にさらしかねない。この不安定性の主たる原因は,趨勢的な資本収益率rが、所得と産出の成長率gよりも著しく高いという事実であり、歴史的データで読みとれる市場経済の根本的な矛盾である。つまり、企業家や資産保有者は不労所得者として、働くこと以外に何も持たない労働者に対し、ますます支配的な地位に立つことになる
長期記録から推定される、平均資本収益率4-5%、所得増加率1-1・5%とその変動パターンから、21世紀も、r>gの関係が継続されるものと予想される。
*青山学院大学特任教授の猪木武徳は、「rがgを上回れば格差が拡大するという論理は、いかなる成長論と分配論の結合から出てくるのか。この重要な点は『21世紀の資本』で明確に論じられていない。…膨大なデータ作成への賛辞は惜しまないが、『格差拡大メカニズムのモデル分析』に成功していると考えていない」と述べている。資本収益率と共に問題なのが資本分配率である。T.ピケティは資本分配率も上昇するとしているが、経済学では、資本蓄積の拡大の過程では「収穫逓減の法則」がはたらくためにrが下落するとしているからである。しかし、これこそが、経済的決定論主義ではないだろうか。T.ピケティは、rがgに比べて大きい時期が長期間続くといっているのであり、さらに収束と拡散が繰り返される、これが資本蓄積のダイナミズムであると述べている。猪木は、T.ピケティが、自著の表題をなぜ「21世紀の資本主義」ではなく、「21世紀の資本」としたのか、その意味を正しく理解していないのかもしれない。因みに、T.ピケティは序論の中で次のように述べている。「率直に云って経済学は、数学や純理論的で高度にイデオロギー的な思索に対する子供のような情熱を克服できず、歴史研究や他の社会科学領域との共同研究がその犠牲になっている。経済学者は自分たちだけに関心のある数学的な微々たる問題にとらわれすぎているのではないか。(英語版、p32)」(「『21世紀の資本』が問う読み手の『知』何がわかり、何がわからないかを区別せよ」、中央公論、2015年5月号)

20世紀に生じた二つの世界大戦によって、過去の蓄積が破壊され資本主義が内包する構造的矛盾、即ち、r>gは克服されたかのような幻想をつくりだした。しかし、富の不平等は1980年代からふたたび拡大しはじめその速度を速めている。世界的規模における富の不平等によって資本主義はやがて政治的な壁に突き当たる。このことは保守的な市場経済の信奉者と云えども同意せざるを得ない。そして、その対策だが、世界各国の緊密な協調の下で資産所得に対する累進的な課税であろう。この累進的資産課税によって、際限のない不平等の拡大を回避すると共に、競争を維持し新たな資本蓄積の機会に向かうためのインセンティブを提供することが可能になる。
しかも資産に対する累進課税は、代替的手段、すなわちインフレや緊縮経済に比べて公正であり効率的である、とピケティは述べている。ただそのためには国民の資産保有の状況を確認するデータの完備が不可欠である。

2)経済学は、歴史学、社会学、人類学、そして政治学と共に社会科学の一専門分野であるが、他分野に比べて経済学がより「科学的」で特別の地位を占めるとする主張する根拠は何もない。敢えて言えば古風な表現だが「Political Economy」であり、political(政治的)、normative(規範的)、さらにmoral(道徳的)な目的を併せもつ点で他の社会科学とは異なる。
例えばどんな経済政策、制度がより理想的な社会に近づくかと問う際に、経済学は自らの専門分野に閉じこもるのではなく、政治経済学として議論を広く展開し、さらに解決策の選択のためには、他分野の学者はもちろん一般市民も参加できる討論の場が設けられるべきである。
また経済学は方法論を盾にして、そのなかに閉じこもり研究の障壁をつくるなど、economic determinism(経済的決定論主義)に陥ってはならない。例えば高等数学を駆使した精密な経済理論は、参加者を制限し内容の乏しさを証明する以外の何ものでもなく、理論の前提である経済的事実についての考察を疎かにするだけである。経済学が有効であるためには、実用的な見地から適切な方法論を選び、利用可能なあらゆる方法を試し、他の専門分野とのより緊密な研究協力が必要である。
また他分野の社会科学も、経済の問題だとして経済学に任せきりにしたり、細かな数字や統計を恐れてはならない。

3)長期記録データの分析は、例えば所得と富の不平等、所得資本比率のグラフが示唆するように、特に20世紀に入り、政治の影響が経済の分野に遍く浸透しており、その逆もまた真である。政治的変化と経済的変化が不可分でありますます総合的な分析が必要であることを示している。つまり、富の集中と不平等や所得・資本比率の問題は、国家、課税そして負債等について、具体的でしかも政治、経済の両面から総合的に研究することが必要であり、経済のインフラストラクチャーとか政治的上部構造といった一般的で抽象的概念は研究に対し何ら貢献するものではない。
1917年から1989年まで続いた資本主義と共産主義の二極対立が、資本と不平等に関する調査研究を不毛にしてきたが、いまやその拘束が外れたのである。具体的な価格、賃金、所得、資産の動き、そして変化が政治的意識や姿勢にどう影響するのか、さらにその結果として生まれる政治制度、秩序、政策が最後には社会と政治の変化をもたらす。このような経済、政治、社会、文化の多領域から賃金と富の問題に接近することは可能であり、かつ不可欠である。
*1870年代にイギリスでも歴史的な経済学が興隆し古典派経済学と対立した時期があった。イギリス歴史学派を代表する一人、クリフ・レスリーは、「経済学の哲学的方法について」と題する論文の中で、演繹的な古典派経済学が、富それ自体の異質性や人間の動機の多様性を考慮せず、社会の状態や条件如何にかかわりなく、富の欲求をあまりにも一面的に取り扱っていると批判した。彼は、社会の進化を全体的に捉えなければならないとし次のように述べている。「すべての国の経済は、両性の職業と仕事に関しても、富の性質・量・分配・消費に関しても、長い進化の結果であり、その過程においては連続性と変化がともに存在し、またそのうちの経済的側面はほんの特定の局面ないし位相にすぎないものなのである。そして、その結果については、歴史及び社会と社会進化の一般法則に求められなければならない。」さらにオーギュスト・コントは、経済学のような個別的社会科学の存在を否定し、それが綜合社会学によって取って代られるべきであると主張した。つまり複雑で多種多様な条件に依存している社会現象が、アプリオリな決定を許すような性質を有していないことに注意を喚起したのである。この歴史学派の主張に対し、アルフレッド・マーシャルは1920年に出版した主著『経済学原理』で次のように述べている。彼は、「経済論理」(エコノミック・オルガノン)と「教義」(ドグマ)を慎重に区別しなければならない。前者が、「ある種の真理を発見するために普遍的に適用しうる要具」であるのに対して、後者は、前者を適用することによって発見された特定の時代の社会の具体的な真理のことである。したがって、前者は「高度かつ超越的な普遍性」を有するけれども、後者はそうではない。彼は、歴史学派にはこの「経済論理」と「教義」の区別が理解されていない、としたのである。(根井雅弘『マーシャルからケインズへ』名古屋大学出版会、1989、pp36-48)

専門分野ごとに分業することの意義は大きいが、社会科学の分野では問題に接近する方法は無数にあり、蓄積されたデータが常に想像力を掻き立てるものである。全ての社会科学者、ジャーナリスト、労働組合活動家、政治家、そして市民は、貨幣とその量、貨幣をめぐる事実と歴史について真摯に関心を持つべきである。数値と向き合うことを拒む態度は、最貧層にある人々に利益とはならない。

2・21世紀資本主義の基本概念
T.ピケティが定義する「資本」の概念には、機械などの物的資本だけでなく、住宅、土地、金融資産(現金、債券、株式など)、知的財産権などが含まれており「富」の概念に近い。これは、彼の立論が実存の統計・記録およびその推計値に基づいているという制約の然らしめるところである。実際に彼は、富、資産,資本をほとんど同義に用いている。また「資本主義」についても厳密な定義ではなく、「世襲資本主義」などといった柔軟な使い方をしている。そこで、T.ピケティにはeconomic determinism(経済的決定論主義)と皮肉られるかもしれないが、R.ハイルブローナーに従いながら、改めて資本主義の諸概念について整理しておきたい。

1)「資本とは何か」
まず富とは何か。単なる「美徳のオブジェ」ではなく「権威」、「力=購買力、指揮権」である。富と資本は重なる部分はあるが同一物ではない。
資本とは、富の物理的な属性ではなく、「さらに大きな資本を生みだすという利用法」に向けられた富であり、その価値は市場で評価される。つまり、「富の増殖手段としての機能」であり、マルクスが「資本の飽くなき自己増殖のプロセス」と呼んだものに近い。
資本の本質は、「富の蓄積への衝動と無限を求める素朴な幻想に発する無意識の動機」と、この動機を補強する「競争・闘争心」とが結びついたものである。経済学でいう「効用の最大化」が、富を資本たらしめる動機ではない。
「富の蓄積への衝動」は、「帝国の際限ない拡大、王の神格化、崇拝」へと昔時の人々を駆り立てたのと同じ欲望である。軍事的栄光や個人的威光によって満たされる「無限を求める素朴な幻想」が、資本を駆り立てる衝動の本質である。ただし資本の蓄積は、社会を常に変革し物質的福祉を向上させる一方で、富の偏在と不平等をつくりだす、という点で帝国の栄光と一線を画す。

2)「資本主義とは何か」
資本主義、つまり「社会の変容を推進するプロセスとしての資本蓄積が経済活動の主体となる社会秩序」の成立には以下の条件が必要であった。第一に「半自立的だった経済がこれを包み込む国家から自由になり、取引の網の目が社会生活のプロセスそのものになるまで拡大し」、第二に「高貴さに欠ける人格の陶冶を阻む(アリストテレス)と貶められてきた経済活動の評価が引き上げられ尊敬されるようになる」ということである。資本主義が、ヨーロッパに自然発生したという出来事は、ローマ帝国の滅亡と旧秩序の崩壊、それに続く約1千年の封建社会のなかで活躍した冒険商人達によって実現した。「帝国の秩序」は、「資本主義の秩序」とあらゆる面で相容れなかったのである。また臣下への封土と農奴制に生産力の基盤をもつ分権的な中世の封建社会は、地域的に分断され、それぞれが孤立し暮らしも細分化されていたのである。
帝国時代の統一的な法、通貨、政府はなかったが、追剥の襲撃に備え武装した従者を連れた冒険商人が登場し地域をつなぐ役割を担うようになった。交易活動が拡大し勢いをつけると、冒険商人は町の暮らしの中に溶け込んでいく。その子孫が中心になって「都市(バーグ)」をつくり、「市民(バーガー=ブルジョワジー)」として、蓄えた経済力を背景に政治的な力を持つようになる。17世紀末のイギリス名誉革命(1688-89)、そして18世紀末のフランス革命(1789)を経て、彼等は旧勢力に代る「新勢力」として政治の支配者になっていった。それと共に新しい経済と社会秩序がその輪郭を現したのである。
因みに「資本主義」という言葉が使われるようになったのは19世紀後半のことで、イギリスの経済学者、A.トインビーが産業革命に関する講義の中で用いたとされている。

資本主義は、「つねに変化する社会秩序」であり、また富は不平等と分かち難く結びついていた。つまり、富に恵まれない個人は、生きていくために恵まれた個人に自らの労働を提供し、その対価を得る以外に途はなかったのであり、不平等とは「生産手段の所有者と生産手段を用いて働く者との間の不平等な関係」に他ならなかった。「商品としての労働力の市場での自由な交換取引」という経済学の抽象的な表現は、その裏にあるこの取引の本質を覆い隠す役割を果たしていたのである。

3)「資本主義と国家」
資本の蓄積のプロセスは、その効果として物質的福祉の向上とともに不平等をもたらし、経済だけでなく政治にも大きな影響を及ぼす。この資本主義が生みだす矛盾、政治的な影響に目を向けたのがK・マルクスであり、彼の「剰余価値説」、さらには「階級闘争論」であった。資本主義の政治的側面は、法的には社会秩序の支配原理として分離独立していながら、同時に「生涯連れ添う伴侶」のように経済と不可分な関係が成り立っている。部分的にではあるがその関係が注目されてきた。例えば「公共財」、「市場の失敗」と表現は様々だが、この両者は、抽象の世界から現実の世界に下りるとその境界は曖昧でありしばしば不可分である。資本主義秩序は、物的社会資本や教育関連の社会資本の整備を必要とするが、それらは国家の補助なくして形成され円滑に機能しない。地球温暖化など環境問題が大きくクローズアップされている。さらに近年の国際金融分野など野放しの蓄積をめぐる国境を超えた資本の競争が格差や失業を増大させ、その脅威から経済を守る国家の役割が一段と重要になっている。
もう一つが、資本蓄積のプロセスが国際的規模に広がり、事業体が所在する国民国家を超越する多国籍企業の増加である。この問題が資本主義と国家の伝統的な関係に新しい問題を投げかけている。生産のグローバル化が進むと多国籍企業のネットワークは各国の監視や規制の力の及ばないものとなり、政府は世界経済の相互浸透とそこから生じる問題にますます対処できなくなっている。

さらに1930年代の世界不況とその克服の過程で、国家と経済の関係は新たな段階に移行したのである。「経済が本来の活力を回復すること以外に、政府が経済的不安定の問題にできることはほとんどない」というそれまでの経済学の「レッセ・フェール」の通念が根本的に変化した。つまり、この時期に国家は、「完全雇用の達成に努力する」という新たな役割を担うことになったが、もちろん経済が国家に屈したのではない。
国家の役割が拡大したといっても、私的部門の活動を指導したり、況してや奪ったりすることではなかったのである。この新たな国家の義務について、理論的な貢献をしたJ.M.ケインズ自身が、資本主義の信奉者であり「この国家機能の拡大をできるかぎり非政治的ものとして描こうとした」のである。
ソ連の社会主義経済が瓦解し、資本主義と国家の役割についても新しい視点から注目されるようになった。
*「市場システムは、その分子を構成する無数の売り手と買い手の個々の出会いよりもはるかに大きく複雑である。市場システムは、全体を連結し調整する主要な手段ではあるが、資本主義のエネルギー源そのものではない、私的領域と公的領域とに権威を明白に二分するものではない。・・・ソ連経済はミクロの秩序の欠落のために崩壊したのである。市場のパラドックスは、『自分の富の増大』だけを求める個人の集合から秩序がつくられるということではなく、そうした集合の中でなければ市場は機能しないということである。」R.ハイルブローナー『21世紀の資本主義』、pp74-77。

そして20世紀後半になると、福祉国家論が凋落し、ケインズ経済学に代ってM.フリードマンの新自由主義経済思想が登場する。また近年に至り、「資本主義の経済秩序が、普通考えられているよりはるかに強く政治秩序と不可分に結びつき依存している」という認識が強まり、良かれ悪しかれ「資本主義の政治化の進行」がしているのである。
さらにいえば、「民主主義」と呼ぶ政治的自由は、これまで資本主義経済秩序の下でしか存在してこなかった。つまり、資本主義は「自由を実体化すると同時に、自由そのものの表現でもある社会秩序」であるという認識が改めて強調されるようになったのである。
*ミルトン・フリードマン(村井章子訳)『資本主義と自由』、日経BP社、2008(原著は1962年に出版)。なお、M.フリードマンは分配の不平等について次のように述べている。「資本主義社会の方が他の体制の社会よりも所得や富の分配の不平等が少ないということだ。資本主義が発展した社会ほど不平等は少ない。…過去と比較しても、資本主義社会では経済の進歩により不平等が大幅に減ってきたことがわかる。」(M.フリードマン、前掲書、pp306-307)

T.ピケティは、最後の章で累積する国家債務の問題点について触れている。政府債務の意味は、貧しい人たちから金持ちへ、適度の貯蓄をもつ人々から政府に貸す金のある人々への「間接的な富の再分配」である。一般論になるが、金持ちが貸付よりも税金として政府に納めるべきだというのが彼の見解である。第二次大戦後に生起した多額の政府債務の支払い拒絶(およびインフレによる債務の減価)以降、政府債務とその社会的再分配に関して多くの危険な幻想がつくり出されてききた。その幻想はできるだけ早く払拭しなければならない。T.ピケティは、政府債務の規模がどのレベルであるべきかについて論じていないが、子供や孫の世代に恥ずべき負債を残し、それを悔いて許しを請うことは何の意味もないと断じている。そして、債務返還の手段、すなわちインフレーション、緊縮経済、課税の三つの策の中で、累進的資産課税を選択する。これそが政治に任せるのではなく公正で効率的な国家債務解消の手段であると論じている。莫大な負債の利息払で教育をはじめ将来のための必要な投資が切り詰められ、しかもそれが低成長期の下で長期間続くという事実がある。既得利益にしがみつきそのツケを次世代に廻すという愚行がいつまで繰り返されるのか。政治の劣化が、資本主義システムを不安定にするという新たな課題が登場し
ているといえる。

4)「資本主義の将来」
これまで偉大な経済学者達は誰も資本主義に穏やかな長期的未来を予想していない。T・ピケティも然りである。いずれも資本主義を、「歴史的方向性をもった社会秩序」であり、個人相互の競争によって駆り立てられる私利追求の普遍的な衝動を活力源とする社会と捉えていた。ただ資本主義が自らのゆるぎない力による働きのみで勝利を収めると考えた人物はいなかったのである。
また全員が「資本主義は自己破壊的である」と考えていたが、その理由の一つが、資本主義の歴史的な独自性は、常に自ら変化し続けるというダイナミズムそのものがシステム最大の敵であるという自己矛盾を内包していることである。つまり、資本主義のマクロ秩序とミクロ秩序をうまく維持することが難しいという矛盾である。もう一つが、富の偏在、不平等に象徴される倫理的正統性に対するうしろめたさであり、これまた資本主義が内包する構造的矛盾に他ならない。
このような問題を抱える資本主義の経済システムは、これまで考えられていた以上に強く政治秩序と結びつく可能性があることを示唆している。つまり、良かれ悪しかれ「資本主義の政治化」の進行は避けられないのである。そして、T.ピケティの労作は、このような資本蓄積プロセスの構造的矛盾を長期的なデータで具体的に裏付けたところに大きな意義がある。

①アダム・スミス:すべての人の福祉が全般的に向上する「完全に自由な社会」を描いたが、社会が資源や地理的条件によって与えられている富の全量を蓄積してしまった時点で、成長も止まると予想した。増加し続ける人口に対して生産の増加が止まり、その生産物を分け合わなければならなくなる時点で経済は下降に転じる。さらに労働者階級の道徳的堕落が生じるとし、資本主義の最終的な運命についてはエコノミストの中でもいちばん悲観的であった。

②カール・マルクス:アダム・スミスのピン工場と異なり、繊維工場を生産の要として描いたマルクスは、生産拡大のプロセスは円滑で安定したものではなく激しい変動と混乱を伴うと予想した。また労働の不当価交換を前提にした資本蓄積の過程をprinciple of infinite accumulation(資本の無限蓄積の原理)として捉えたが、対する労働者階級は「愚かで無知な」集団、既存秩序の受身の犠牲者ではなく、プロレタリアートとして自らの未来の自由を勝ちとる主体とならねばならないと考えた。こうしてマルクスは、社会主義の発展の前に資本主義が消滅するという未来を予想した。

③ジョン.M.ケインズ:資本主義の市場機能を重視したが、市場原理で動く社会には慢性的な失業が起こると考え、資本主義没落のシナリオを描いていた。この悲観論は技術的可能性に対する静態的な見方を反映している。ただ資本主義の政治的可能性に対して驚くほど楽観的な見方をしている。彼のヴィジョンには、労働者階級に対するスミスの絶望的な評価も、革命の可能性に対するマルクスの楽天的な評価もない。資本主義は常に変化する社会秩序であり、資本と国家の関係は柔軟で対応力富んでいると考えた。ケインズのヴィジョンは均衡ある経済と均衡ある政治ということであり、自ら「穏健な保守主義」と述べている。

④ヨーゼフ・シュムペーター:「創造的破壊」による資本蓄積のダイナミズムと投資のフロンティアに注目し、競争によって古い資本が容赦なく破壊されるとするマルクスの考え方を否定したが、なお「資本主義は生き延びることはできない」と、その将来を悲観した。 資本主義の文化が、さまざまな価値を腐食させると考えていた。そして、資本主義的信念の核心が維持されるかどうかは、ほかの基本的な価値体系と同じく、究極的には理性的擁護論を超えたところで決まり、それは資本価値という非情な試練の前に萎えていくであろう、と考えていた。

⑤R.ハイルブローナー:資本主義の先に何があるのかと問いかけている。ソ連社会主義社会の経験、そして社会主義的資本主義を追求してきたスウェーデンの試み、これらを超えるアイデアとして「参加型社会」を考えた。利己心のみによる意思決定や、富や地位にめぐまれた個人が一方的におこなう意思決定に代えて、「討議と投票による広い共通の意思決定が行われる社会」を想定したのである。中央からの指令でもなければ市場の圧力とインセンティブへの従属でもない方法による社会の統合、つまり「参加」によって調整が行われる社会秩序である。そこでは、私有財産制と市場機能による調整・統合に代って経済活動のすべての段階で、すべての市民が討議と投票によって集団的意思決定に参加する。また資本主義の経済的不平等に代って、社会的、経済的平等が社会の規範として広く認められる。

3・補足 T.ピケティの略歴
1971年生パリ郊外に生まれる。名門のパリ高等師範学校(ENS)を経て、1933年に22歳で国立社会科学高等研究院(EHESS)とロンドンスクール・オブ・エコノミクス(LES)から経済学博士の称号を取得。論文のテーマは富の再分配で、この当時から今日まで格差問題に取り組む姿勢は一貫している。
この後すぐに、マサチューセッツ工科大学(MIT)の准教授に採用された。しかし、米国の経済学が数学を駆使して「科学っぽく見せる」ことに頼り、数式になじまない「複雑な現実から目を背けている」とし、2年でMITを辞めフランスに戻る。2000からEHESS教授、2007年からパリ経済学校(EEP)の教授を務めている。


参考文献
1・Thomas.Piketty, CAPITAL in the Twenty First Century, Belkap Harvard,2013.
2・R.ハイルブローナー(中村達也外訳)『21世紀の資本主義』ダイヤモンド社、1994。
3・M.フリードマン(村井章子訳)『資本主義と自由』日経BP社、2008.
4・特集:日本で米国流格差を論じる愚「ピケティの罠」、中央公論、2015年4月号。
5・根井雅弘『マーシャルからケインズへ』名古屋大学出版会、1989。

posted by 毎月コラム at 08:18| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

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